6.11脱原発デモに行ってきた☆「いろんな人がいるんだよ」編
(写真あとでアップ)
ツイッターその他で、デモに関して、気がかりな発言を見た。
いわく「デモで中心になって騒ぐのは、へんなのが多い」的な。
あるいは、デモの騒音をもって、迷惑行為と受け取る人もいるらしい。
いわば、嫌デモ感といってもいい感覚を、もよおさせている。
こういう感覚については、ぶっちゃけた話、当のデモ隊に並んでいながら自分も思うことはある。
デモで声を出す人(往々にしてマイクを持っている)が、そのデモ隊の中でどういう位置づけなのか、あらかじめマイクの許可をもらってのことなのか、なんらかの主要メンバーなのか、そこらは分からないが、共感しかねる事を言う事がある。それも、マイクを通じて言うから笑うに笑えない。
マイクの台詞の後に続いて唱和する、というのがデモのスタイルっぽいのであるが、
たとえば「野菜が食べたい」<野菜が食べたい>「お魚食べたい」<お魚食べたい>(<>内後に続く)は分るが、どうして「お肉が食べたい」となるのか? 肉は特段原発事故の影響を受けたとは聞いていない。輸入ものが多いし、国産でも、東北に産地があるとは聞かない。まさか、貧困なので肉が食べられないということで、肉に飢えているのか? まさか。今時、野菜の方が肉より高い。
しかしそれはまだマシだ。いただけないのは、デモのギャラリーや通行人にデモに加わることを呼びかける、というもの。多少呼びかけるのはいいが、いつまでも目的化したかの如くの呼びかけはどうなんだろう。第一このデモは、参加しないでいられず参加している人が、大半のはずだ。
それを、わざわざ呼びかけるのは、向く方向を間違えている。向く方向は、訴える方向としては政府や東電や原子力保安院や官僚機構などである。また、何のために、という方向としては第一に子どもがある。(他、自分たちの健康、安心感、平安、未来、希望、美しい自然や国土、などなど)
と、結局わたしも「同士」を、けなしてしまった…
宮崎学さんのブログに、
68世代にとっての打倒すべき「真の敵」とは、その時々の与党、官僚などの「この国を支配する者」であったが、要するに“内輪モメ”ばかりして、「真の敵」に対しては内輪モメに使う100分の1の戦闘性も示しえなかったのではないか――というのが68世代に対する私の総括である。
同一陣営内(すなわち本来は味方)との闘いには異常なまでの執念を燃やすが、本当に闘わなければならない相手に対しては徹底的に妥協的であった。それが、私たち68世代が「壮大なゼロ」でしかあり得なかった所以なのだ。
というのがあって、それを読んだ時は思わず絶句したものであるが、へたをすれば、ワレワレもそうなりかねない。
「真の敵」を、そして「真に目指すもの」を、見失ってはならないのである。
そんなで、よく、あいつらは右翼だとか左翼だとか、共産党だとかキリスト教だとか、いろんなことを言う人がいるけれど、そんなことは、ここまで起きた事態の前ではちいさな事。
それに、嫌デモ感を持つ人に教えたいが、デモ隊は、信じられないほど警官に管理されて行進している。新宿では、高円寺よりもさらに感じた。新宿の警官はほとんどデモ隊を「お客様」扱いしていた。持ち上げつつ、従わせる、という感じ。どこへ行くのも、右へ行くのも左へ行くのも、隊列が膨らむのも縮むのも。
こうやって、あらぬ方向(国会とか? 東電勝俣宅とか?)に向かって行進しないようにしているのか、そこまでは分らないけど。