ワイルド7

—全面的なねたばれ注意—

ヒバダイロク。これからお仕事大晦日に見に行った。エンドロールが終わり場内に灯りが付いた時、それは映画館の座席を立ち上がらなくてはならない時でもあるけれど、うしろに座っていたハタチくらいの女子が連れの二人に「泣いちゃったよお」と小さな声で言った。わたしは顔も分からないその女子に深い共感を抱いたけれど、泣いちゃった理由はわたしと同じであろうか? そうならばどんなに良いだろうと思う。

なぜって本編が終盤に入り「PSU」(公安調査庁)の巨大な建造物の内部を7台の単車が疾駆し、お互いをかばい合いながら、お互いの呼吸を感じながら、お互いに先を譲りながら、SATを相手に拳銃をぶっ放しつつ、「国家に守られた」最大権力者(といっていい存在である)桐生圭吾のいる物騒な自動銃器に囲まれた司令室に、ワイルド7の若きリーダー飛葉大陸(ヒバダイロク)が辿り着く。そこまでの課程でかかるやたらと効果的な音楽と、けたたましい爆音の連続(ふだんなら苦手な音響)に鼓舞されつつ考えていたのは、映画本体とは関係のない別の事柄だったから。

「超法規的」な存在である「ワイルド7」が超法規的に突撃する姿に、超法規的にやっつけてほしい現実の存在を色々と思い出し、その現実に戦いを挑む姿に見えて見えて仕方なかったのだ。311以前なら、桐生圭吾は娯楽作品特有のデフォルメされた悪の親玉と映って見えたろうが、今は違う。桐生圭吾どころではない輩が現実の中にウジャウジャいる、ということを知ってしまった。

たとえば、経済産業省の人間は、福島県の元知事にいわれのない収賄罪という罪を押しつけ塗炭の苦しみを味あわせて、今も誰にもとがめられずノウノウと生きている。(そればかりか、日本のマスコミは一度も元知事に取材に来たこともないという。)

東京電力の会長、勝俣ナンチャラは、マスコミや原子力委員会、原子力安全委員会に賄賂を配りまくり、原発批判を封じ込め、そのあげくに事故が起き、福島県およびその周囲の多くの住民から住む場所、安心な暮らしを奪っても、誰にもとがめられずにノウノウと生きている。

あるいは警察機構の人間は、なんの罪も無い青年にいきなり痴漢の罪を着せ自殺に追いやっても、その非を認めることもなく、ノウノウと生きている。

そんなんばっかりである。

なぜ彼らは、その犯罪性を追求されることもなくノウノウとしていられるのか?
それは、国家に守られた存在だから、である。
権力の側にいるから、である。

つまらない詐欺や窃盗や横領でも捕まって刑務所に入れられるのは、権力の側にいるのでは「ない」から、である。
桐生圭吾の高笑いが浮かぶようではないか、「権力の側に立てなかった己の無能をうらむのだな、あーーはは」と。

上の三例は全体のごく一部である。彼らに復讐しろだの死刑にしろだの天誅下せだのと白昼堂々おおっぴらに言う気は無い。けれど、せめてしかるべき場所でその罪状はキチンと読み上げられるべきではないか?

…そんなで、慢性的な理不尽気分に侵襲され続けている生活を送っているところに、期せずして『ワイルド7』を見てしまったら、否が応でも関連づけて興奮してしまったからと言って、ダメな観客と言えるだろうか?

……

……

いや、実を言うと、ひょっとしてダメかもしれないと思った。少なくとも、いくつかの映画サイトのレビュー欄を確認する限り、そういう見方をしている人はいなかった。
そのため、わたしは確認作業のために正月二日の夜に、もう一度見に行ったのである。
たまらなく格好いいと思えた彼らが実は勘違いで、じっくり見ればさほどカッコ良くないかも知れないと考えるのは辛かったが、わたしは真実を知りたい。作中の新聞記者藤堂正志も言っているではないか。

「一番恐ろしいのは、真実に目をつむることなんだ!!!!」

映画の新聞記者はかっこいい事を言うなあ。もっとも藤堂記者はキャップには理解されずちっとも「ワイルド7」の記事を書かせてもらえず臍をかんでいるのであるが…

二度目に見て思った事は後ほど書くとして、ワイルド7の面々の格好良さのほんの一部を文字化してみたい。

◆まずもって格好良かったの椎名桔平。渋いわ苦み走ってるわお父ちゃーんって感じの包容力はあるわで、男の魅力全開。この方は椎名桔平インタビュー「ただワイルドに攻めるだけじゃない」“大人”の男のアプローチで答えている通り、主役として前面に出ることよりも、後方で若さとは違う存在感を示すことに成功していたし、それをまた生き生きと凄みをもって演じていたので、後方であっても視線釘付けだしで、マジで同世代人(だいたいw)としても誇らしく思った。

◆丸山隆平演じるパオロウも格好いいのなんのって。こんな味のある若手俳優ってどこから出てきたのかと思ったら本来は関ジャニ∞の人らしい。当方ジャニーズに詳しくないから顔に覚えがなかったのだけど、ネットで画像検索して出てきたどのアイドル顔の丸山さんよりこっちのが格好いいし、自然な雰囲気もいいと思った。パイロウ、主役の飛葉と並んで「ワイルド7」の若手組として、ラストは前線に出る。

◆阿部力演じるソックスがまた格好良いのなんのってかんのって。見ている間ぜんぜん気付かなかったけど、阿部力さんって「花より男子」で美作あきら役やってた人!! えーびつくり。まるで顔つきが違って格好良いし、力の抜けた虚無感の漂わせ加減がサマになっていた。登場時間が短いのが残念だったけど要所要所で印象強いセリフを放ち、映画全体を締めていたし、コインを投げる姿かっこいいんだよねえ。「いかさまコイン」がまた泣かせる。ちなみに彼も若手組として前に出て行く。

◆宇梶剛士演じるオヤブンの格好いいのなんのって南野陽子。この方は元広域指定暴力団組長っていう今をときめく「やくざ」だった人なんだけど、コミカルな味で笑いを取れていた。「ワイルド7」のメンバーは年齢幅が広く、オヤブンは最年長だから、年長らしく頼れるおっさん風。こういう人がいるのといないのでは天と地だ。ちなみに彼、警察と聞いただけで反吐が出るのだ。

◆平山祐介演じるヘボピーには、本物の犯罪者を連れて来ちゃったのかと思ったくらいヤバイ雰囲気が漂っていた。それこそ登場時間が少なかったのでよく見れなかったのが残念。パンフによると平山氏は「元モデル」とか意外な前歴が書いてあるな。なんにしろ、超法規的集団「ワイルド7」にリアリティを付加している、さりげなく重要な人物。

◆松本実演じるB・B・Qだけど、変な話しうちの病院のカンジャサマにたまにこういう方いらっしゃるなあと連想した。つまりシンナーとかヤクをやり過ぎて脳が壊れてしまったって感じの。格好良さの方に流れすぎると壊れた存在感がなくなってしまうところを、ちゃんと持ちこたえていた。二度目に見るとけっこう愛らしいキャラなんだけど初見では危なっかしい奴。

本間ユキの家族◆深田恭子演じる本間ユキ。凶悪な犯罪者集団に家族を奪われ、復讐の完遂だけを心の支えに生きる役どころ。これ、何かを連想する。そう、311に津波で家族を奪われた人。爆破テロで家族全員を失った人というのは、日本には滅多にいなかったはずだが、311の後は、テロではないが当たり前のように多くいる。どうしても連想してしまう。そんな役を、華やかな顔立ちのフカキョンが適度な重さと暗さをもって演じている。復讐のためとはいえ、本格的すぎる銃やオートバイのライディングテクニックは現実離れしているわけだが、不自然な印象もなくスンナリと見れた。

◆瑛太演じる飛葉は、本間ユキに「あなた名前は?」と聞かれて「ひばだいろく」と答えるところがよかった。「ひばだいろく」という運命を感じさせる答え方で……。それはともかく、飛葉は格好いいだけではダメな役だ。何よりも説得力がなくてはいけない。二度目に見る時に確認したかったのは、国家に守られた権力の権化・桐生を相手に言った「決め」セリフ–宣伝動画にも公開されていない–が、最初の刺激に慣れた耳にはどう聞こえるのかという事だった。といっても、決めセリフは一度目に聞いた時も、別段「感動的」ではなかった。それでいいのである。何から何まで感動しなくてもいい。ごく当たり前の事を言うだけだし、わたしはそんなに若くはないのだから。どんなにありふれたセリフでも「ひとりでしか生きられないランブルフィッシュ(闘魚)」が自分でつかみ取った言葉だ…

……

二回も見るとさすがに、映画が言っていることと言っていないことの区別は付いてくる。最初、自分の世界認識、社会認識にとって都合のいい符号を見つけ、捏造ぎみにこの映画を捉えていたわけだが、二度目は、現実にウジャウジャと存在する権力野郎は「とりあえず」脇によけて見ることができた。

そうすると最初の猛烈な感涙むせぶ感じは後退した。
その代わり、人間関係およびストーリーのどことどこがつながっていたのか、ゆっくりと確認できて面白かった。ことに宣伝動画にもあるので説明してしまうけど、オヤブンが「結局最後は犯罪者か」とぼやく。
このぼやきの意味がわかって、あーーなるほどと思った。

犯罪であることと正義であることはコインの裏表のようにひっくり返る。
自分たちのボスが拉致され葬られると、超法規的に警察の一部として機能していた彼らは結局犯罪者になる運命になった。
けれど、そのセリフに対して「元に戻るだけのことだ」と、頭脳派のソックスがクールに言い放つ。
たとえ国家の法が「それ」を犯罪とみなそうとも、そして名誉のカケラもなく汚名しか受けなくても、どうしてもやらねばならない「それ」をやる。

このカッコウ良さたるやたるや。
同じことをやっても、警察の立場(この映画の登場人物の感性としては「世のため人のためになる」)ではなく、犯罪者の立場になることは、いかにワイルド7の面々にとっても実は無念なのである。そのことが、二度目に見るとよく分かる。彼らは(というか映画制作者、かもしれないが)、そこまで彼らを悪として描くことを忍びないと思っている。

しかし、だからといって、あまりにも無条件に「警察の犬」「権力の手先」に成り下がることは、観客が(少なくとも意識ある観客は)許しはしないのである。

ここらへん、彼らは綱渡りを渡りきった。

危うく「実は良い奴」っぽく、あたたかくなりそうになった草波勝(中井貴一)も、すんでのところで踏みとどまった。クールでなくなるのだけは勘弁してもらいたかったので、胸をなで下ろした。

ちなみに、gooの映画サイトのレビュウ欄に載っている55点の評。言いたいことは分かるが、「暴力団排除条例」などができてしまう昨今の国家権力および警察権力の暴走ぶりをご存じないようだ。最後のエンドロールにしても、俳優たちと映画を守るためとも考えられ、もしもそうなら「表現」の危機を心配した方がよくはないだろうか? 第一、カタルシスなどは、どんな映画に対してでもハナから期待すべき状況ではないのである。この映画にはカタルシスはもちろんなかったし(「友情」面はともかく)、「スッキリ」したわけでもないが、それでいいと思う。贅沢を言うなら、ユキから家族を奪った犯人は国家サイドの人間であるべきで、その方がはるかに説得力が生まれたところ、何やらよく分からない中国人みたいな犯人グループという設定なのは、今日的にどうなんだろう?(ナントカマツダは半分は日本人だろうが)

考え始めれば色々出てくるが、日本では珍しいカーチェイスやオートバイでの暴走やアクションなど、見所は多い。何よりオートバイが格好いい。

追記:
映画『ワイルド7』隊員のバイクとキャラクターを深く掘り下げるぞ
原作のオートバイと映画のオートバイの違いを知りたくて探しだしたページ。変なスポンサーの絡み具合など知りたかったが、特にはないようだ。続いて原作者望月氏のインタビューも楽しいものになっている。インタビュー中「スッキリした」と言っていて、原作者氏がスッキリしたのはよかったねと思う。このインタビュー読むと分かるけど、映画『ワイルド7』は昨日今日の話じゃ無くて奥が深い。

投稿者 sukima