2012年、寺へ

今年もまた例年と同じお寺にお参りに行った。
今年はこのお寺、仮にS寺とするが昨年までと違っていた。


「お守り売り場」がなくなっていたのだ。
昨年は初詣の際に家族全員をフォローできそうなS寺オリジナルのお守り札を一枚購入した。その前の年もその前の年もお守りを買った。今年も買うつもりで、S寺に行くの楽しみにしていた。
それが、ない。
やはり、震災の影響なのだろうか。
お守り売り場の側によくある「おみくじ」は、S寺にはもともとない。
大吉だの小吉だのと書いてある、あるとつい買ってしまう例の因果なぶつを置いていないことをわたしは喜んでいたのだけど、考えてみればお守りも同種のものではある。
例年よりも暖かいせいなのか、昨年と違ってまだ落葉しきっていないモミジの境内を歩きながら娘に、
「震災があったせいかなあ? せっかく買おうとしてたのにお守り売り場がないね」
と話しかけると
「えっ」
としばし考えたあと
「効き目ないから?」
と、身もふたも無い返事がかえってきた。
すると脇から高三の息子が
「効き目あったじゃん、おれらんとこには!!」
と高らかにいう。最近高三の息子末次郎は、家族が何を話していても、脇から論評でも下す勢いで生意気に何か言うので少々ハナについている。
寺、仏教とはそう単純なものだろうか?
調べると、たとえば主な宗派だけでも日本には16宗派あり、そのほかに仏教系教団がある。さらに、宗派の中のたとえば「浄土真宗」の中だけで十もの「派」があるのだ。そして同じ派の寺(分院という言い方をしている派もあり)が日本全国にちらばっていて、日本地図を用い案内しているサイトもある。
いくら千年以上の歴史があるからといって、民主党だの真民主党だの小沢派だのどころではない派閥の分裂でびっくりだ。
ちなみに昨年十二月には1200年ぶり…天台・高野山真言宗トップ対談がおこなわれたそうだ。

2012年1月7日(土)20:40 (読売新聞)
天台宗の半田 孝淳・ 座主ざす(94)と、高野山真言宗総本山・金剛峯寺の松長 有慶・座主(82)による対談が昨年12月25日、京都府と滋賀県にまたがる仏教聖地の一つ、比叡山で行われた。
 両宗の開祖、最澄と空海が晩年、対立したとされることから、両座主が長時間にわたり意見を交わすのは1200年の歴史の中で初めてとなる。
 東日本大震災を体験した日本人の心のあり方を宗教人として示したいという松長座主の提案に、半田座主が応じる形で実現した。日本人はこれからいかに自然や環境と関わっていくべきか。両座主による初めての対談は、被災後の日本人への示唆に満ちたものとなった。

1200年もわだかまるってすごい執念。というか今回のは千年に一度の天災、つまり千年前にも同じ規模の地震あったのじゃないのか。その時に和解してればいいじゃない。まったく人間界の業の深さを見た気がする。
……脇道にそれた。だから、自分の地域の寺は全国の同一宗派とつながっている。(場合によっては宗派を越える時もある) 実際、S寺が属する宗派の管長さま(京都)の震災後のお話しを見ると、被災地に三、四十カ所ほど同派の寺があるという。三月後半、管長の部下?がそれらの寺にお見舞いに回り、様子を管長に報告したそうだ。
つまり、自分のところに効き目があったとかなかったという狭い了見で考えてはいけないってことかと。
それに、「被災地で祈る僧侶」のような方もいる。
今年は去年と違って何も祈るまいと思っていたのに、お堂の前に来たら手を合わせてしまった。
祈ったり願ったりよりもお礼をしたかった。
礼ができるということが、その対象があるということが、そのための条件があるということがありがたい。
写真日和の天気の良い日だっったので帰り道に写真を
ラインのはげた横断歩道を渡る末次郎、
唐辛子がまだ赤い実を付けている菜園の前で娘。
いい加減に新しい靴をぜったいに買うべきな息子。
寒がりすぎて着ぶくれしている上にポケットに手を入れている家人。
トンネルの向こうから歩いてきた農家のおばあさん。(知らない人だけど)
枯れ樹と自分の混ざり合った影。
などなどを撮りながら帰った。