【日記】二〇一二年五月二三日

自分のホームページで22日は更新日ってことにしているので、ナンか書かなきゃなあ…というボンヤリした使命感にかられこれを今書いている。ちなみに、オーウェルの『1984年』を読みかけているのは実話だったりする。

わたしが手にしている『1984年』は「新訳版」で訳者は高橋和久、初版は2009年7月。

原文でも「diary」という言葉なのだろうか? おそらくそうだと思うが、主人公のウィンストンがテレスクリーンの監視の目をくぐり抜け日記を書くシーンがあるので、そこを引用。

 彼のやろうとしていること、それは日記を始めることだった。違法行為ではなかったが(もはや法律が一切なくなっているので、何事も違法ではなかった)、しかしもしその行為が発覚すれば、死刑か最低二十五年の強制労働収容所送りになることはまず間違いない。(中略)

一九八四年四月四日

 椅子の背に身体をもたせる。どうしようもない無力感に襲われていた。まず何より、今年がはたして一九八四年なのかどうか、まったく定かではない。その前後であることは間違いない。自分の年齢が三十九歳であることにはある程度の確信があり、一九四四年か一九四五年に生まれたと信じていた。しかし昨今では、誤差が一年か二年という厳密さで年代を特定することなど、どだい無理な話だった。

 ふと彼は疑問に思った、自分はこの日記を誰のために書いているのか? 未来のため、まだ生まれぬものたちのためか。彼の心は一瞬、頁に記された疑わしい日付の上をさまよったが、結局、衝撃とともに<二重思考>というニュースピーク語に思い当たった。企てたことの重大さがはじめて身に染みた。どうやって未来と意思疎通ができるというのだ? その試みの本質からして不可能ではないか。未来は現在と似たものかもしれない。その場合には誰も自分の話に耳を貸そうとはしないだろう。或いは、現在と重なっているかもしれない。そうであれば我が身のこの苦痛など無意味なものとなる。
 彼はしばし呆けたように紙面を見つめた。テレスクリーンは耳障りな軍楽隊の音楽に変わっていた。奇妙なことに、自分を表現する能力を失ってしまったばかりでなく、元々言いたかったことが何であったかさえ忘れてしまったような気がした。ここ何週間か、この瞬間のために準備を重ねてきたのだが、勇気の他に何かが必要になろうとは思ってもみなかった。実際に書くことになれば簡単だろう。文字通り何年間にもわたって、いつまでも止むことなく頭のなかを駆け巡っていたモノローグを紙に転写すればいいだけのこと。しかし、いざこの瞬間を迎えると、そのモノローグさえもが雲散霧消していた。(中略)

 一九八四年四月四日。昨夜、映画に行く。すべて戦争映画。とてもいいのが一つ。避難民で溢れかえっている船が地中海のどこかで爆撃される。観客がひどく喜んだのは、とてつもなく太った大男がヘリコプターに追われ、泳いで逃げようとする一連のショット。最初はイルカのように水中をのたうちまわる姿。一転してヘリコプターの照準器が捉えた彼の姿。次の場面では彼の身体じゅうに穴があき、周囲の水がピンクに染まる。そしてその穴から水が注入されたみたいに、彼は突然沈んでいく。観衆はその沈む姿を見て大笑い。それから子どもを満載した救命ボートとその頭上に留まるヘリコプターのショット。ユダヤ人と思しき中年の婦人が舳先に座り、三歳くらいの男の子を抱いている。男の子は恐怖のあまり泣き叫び、婦人の胸もとに顔を埋めている。彼女の身体に巣穴を掘って隠れようといわんばかり。婦人は自分も恐怖のために蒼白になりながら、男の子を抱きかかえ、なだめている。その間、自分の腕で銃弾が防げると思い込んでいるのか、できるだけ男の子を覆い隠そうとする。するとヘリコプターがかれらを目がけて二十キロ爆弾を投下、恐ろしい閃光、ボートは木端微塵。その後に子どもの腕が上へ上へと空中高く舞い上がる素晴らしいショットが続くヘリコプターの機首に据えたカメラで追いかけたに違いなくて党員席からは万雷の拍手が起こったものの下のプロール席にいた女性が急に騒ぎ出し子どもたちの前でこんなものを見せてはだめ絶対だめ子どもたちの前ではよくないだめだと叫んで遂には警察が彼女をやっと連れ出すという仕儀になったが彼女の身に何か起きるということはないだろう誰もプロールの言うことなど気にもしないいかにもプロールにありがちな反応などかれらはまったく—-

 ウィンストンは手が痙攣したせいもあって、書くのを止めた。どうしてこんなつまらぬことを垂れ流す気になったのか自分でも分からなかった。しかし奇妙なことに、そうやって書き連ねているうちに、映画とはまったく別の記憶が、ほとんど書き留めることができそうなほど鮮明に浮かび上がってきた。(後略)

どうして日記が禁じられているのかというと、まだ少ししか読んでいないので断言はできないけど、記すべきこと、感じるべきこと、考えるべきことが「決められている」からだと思う。それはひいては、何が起きたのか、それをどう解釈すべきなのかも決められている。なので、事実は「ビッグブラザー」によって書き換えられ、それが歴史ということになっている。

☆ ☆ ☆ ☆

『2012年』

ここのところ、江川紹子さんがキーパーソンだったりする。

  1. Egawa Shoko Journal: 福島の今とこれから、そして報道について考えた

放射能を危険視、もしくは福島からの避難を推奨する人から批判を浴びる江川氏だけど、上のような、取材と主張を含んだ記事をきちんと出すのだから、やはりちゃんとした人だと思った。江川さんの反対側に上杉さんなどが位置づけられるけども、あの方はメルマガにあれこれ書いて発行するけれど、そしてまた唐突に線量の高い所へ行っては「ひばくなう」とかいって猛攻撃を浴びるけれど、ちゃんとした主張記事が必ずしもあるわけでない。それに加えデマ野郎や煽り野郎なども加わって、フォロワーとしては戸惑うばかりだ。

まぁそっちは今はいい。今は江川さんの記事だ。

上の記事と、江川紹子 vs きっこ 夜中の論争 – Togetter「放射能こわい」と「こわくない」の対立か – Togetter

これら見て思うのは、起きているのは、「放射能こわい」と「こわくない」の対立ではなくて、また早川氏が言うような「この社会と文化を変えたい」と「変えたくない」の対立というよりも(それも広い意味ではある)


線量の高い地域に対する政治意志の不在がもたらす混乱ではないだろうか?

江川さんの記事を読めば分かるが(そして多くの人に読んでほしいと思うが)、江川さんの主張は何も「放射能こわくない」とか「福島あんぜん」とか、そういう事ではない。
不安要因がいろいろな角度からやってくる中–モニタリングポストの数値から、報道から、各種情報から–、それでも日々細やかに気を配りながら生活し、子を育てる人の暮らしとその胸の内であり、そこから導き出された、福島の人が「萎縮と怯えから解放され、もっと伸びやかな暮らしを取り戻」せるように、という強い願いだ。

まったくもって当然の願いだ。だが疑問も残る。江川さんが取材している範囲が非常に限定的だからだ。(一記者が行うのだから当然だが) 地域としては「郡山市」「いわき市」。そしてフローレンスが主催する「インドアパーク」のおかあさんへの取材であり、いわば「意識の高い」知的な人だ。勝手に判断するに、このようなお母さん達が守っている子ども達は安心だ。(とはいえ細やかに気を配っているゆえのメンタル面のサポートも必要だ) 

しかし、母といってもいろいろな人がいる。細やかな人からおおざっぱな人まで。適当な人は適当なものである。わたしなどは自分の親が適当でズボラだったから(愛情が少なかったとか、そういう事を今更ことさら言う気はない)不安になるのである。

abouto.jpg

図左の青と中央オレンジくらいは大丈夫と思えても、右はどうなのか? つまるところ、そういう個人差のある人間性や知性に依拠する事態になっているところ、どれくらい自治体がカバーしているのか。何らかの強制力はあるのか? 自治体のカバーが(もしも)あるとして、それだけでいいのか。国の原発政策の成り行きとして起きている事態に対して、国の政治は何も考えを述べず、行動もせずでいいのか。このまま右枠の子どもに何かあっても自己責任ってことになるのか?

懸念するのは右枠の子ども達。
そして中央と左に関しては物心両面。

☆ ☆ ☆

それでさっき、国会で今何をやっているのか、少しは議題になっているのか調べたけれど、まったくそんな気配がない。

一方、ツイッターは神経をむき出しにした人たちの不安と不満と孤独感のはけ口と化し、ちょっとでも徒党を組めそうとなると気が大きくなって、人を口汚く罵る輩が跳梁跋扈。まさに魑魅魍魎の腐海となっている。
ここらへんも、ちゃんとした党派が組めるべく、ちゃんとした政治への志向が生まれ、目指すべき政策、目指すべき社会体制像を描けないと、ますます病気が進行。

そんななると、人々は単にネットやツイッターに近寄らないということになり、せっかくワレワレが手中にした意見表明の場が、すなわち政治の場が無駄になる。

☆ ☆

おとと時間だ。お金を稼ぎにいかないと…
この後、見出しとして思いついているのは

  1. 人口の多い団塊二世(三十代~)こそ政治に覚醒すべき
  2. そのためには憲法改正、九条の見直しも議題に上がるも止む無し(三十代向けコンセプト)
  3. 今の日本にとって、民主主義のフォーマットは何を採用したらいいか

などなど

その他最近見て良かった頁(の一部)

  1. Kyoko Shimbun News(虚構新聞社)
  2. 虚構新聞デジタル:ニュース特集:検証:橋下市長ツイッター義務化報道問題
  3. 『困ってるひと』の著者、大野更紗の福島への思い:日経ビジネスオンライン
  4. TEPCO : ご意見・ご要望 ←26日の福島第一原発視察、フリー記者にもカメラを持たせて下さいと要望を出しました。みなさんも出しましょう。出さないとTEPCOに「特に意見はきてません」と言い訳のネタを与えることに。