郡山は不思議な街。メインストリートの廃れ方ハンパないのに路地へ入るとにぎやかにぎやか。しかも酒と食べ物が旨い!!(^o^) それとは関係ない話しだけど・・・

福島県郡山市へ行ってきた。さいたまけん大宮から新幹線で一時間弱。近い近い。

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初めて行った郡山、最初に感激したのが駅構内に飾ってあったコレ↑↑↑↑「会津唐人凧
一目見て「や・これ、朝鮮通信使じゃん、唐人じゃん、会津の人も朝鮮通信使の行列を見物に行ってたの!!??」と興奮していた自分。

ちなみに説明すると、朝鮮通信使は1607年~1811年の間に12回日本を訪れた朝鮮からの使節団。ルートは、ソウルー対馬半島ー下関を通って瀬戸内海を海路ー大阪あたりで上陸ー京都ー大垣ー名古屋ー静岡ー箱根から江戸。

目的地は江戸なので通常そこまでだけど、徳川家康を祀った日光東照宮に三回訪れている。一回目は1636年、人数は217名。

さいたま県川越が、「川越唐人揃え」というお祭りを毎年11月に行っているのだが、これが明治時代に入るまで行われていた朝鮮通信使の仮装行列を、2005年から再現したもの。(明治になって中止になっていた)

江戸までしか来ない通信使の仮装をなぜ川越で? と思ったら、川越の商人が江戸に見物に行き、いたく興奮&感動し、地元でも再現しようと企画したものが恒例化した模様。

江戸時代、すでに浮世絵などの出版をしていた日本であるから、通信使の情報も広く行き渡っていたのだろう。

そうなると福島という、蝦夷というには板東に近く、板東というには北過ぎる中途半端な位置ながら、通信使が来るぞという情報のもと、江戸かもしくは日光か、もしくは両方見物に行ったのではないか。

でもって見物したらドえらいインパクトを受けてしまって、思わず凧にしちゃったんじゃないか。

などいろいろ想像をめぐらしたら(ええあくまで想像です)、歴史浪漫過ぎてクラクラしたのであった。

 

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凧の下の説明書き。戊辰戦争の時に上げた会津唐人凧の絵。
なぜ上げたのか、その理由はわからない。(説明書いた人もわからない模様)
後日ネットで当方が調べると、会津唐人凧の由来もよく分かっていないらしい。

凧自体の由来は忘れられても、会津の人が大事なときに上げた凧である歴史は確かだ。

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こちらは東京新聞(2015年3月29日)の記事。2年おきに開かれている、朝鮮通信使を再現しソウルー東京間をみなで歩くイベント。今年は世界遺産登録祈願もアピールした。


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郡山とはあまり関連ないことupしてすみませんでした