ポリタスが沖縄基地問題ではっちゃけてるみたいなので見てみた
サイトを見たところ、例によって識者の考えがづらづらと並んでいたわけであるが、興味深かったのは、それを読んだ(よっつの記事を読んだそうな)とあるツイッタラーが@tsudaあてに以下のようなツイートをしていたことだ。
みかおねえさんファン @mikafan1003
@tsuda 読んだけど、矢張り期待外れだった。なぜ沖縄の負担を軽減しろと言う連中は、9条改正・核武装して米軍基地を自衛隊の基地に置き換えろと言わないのか‥。なぜ差別だの何だの言って沖縄と本土の二項対立を扇動しようとするのか‥。左翼は頭が悪いのか‥。それとも中国のスパイなの…
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それに対して@tsudaは
核武装するのは非現実的なのでこの記事読まれるといいですよ>http://politas.jp/features/6/article/387 … あと、全部自分と価値観が違うものを中国のスパイと決めつけるのも短絡思考に見えるのでやめた方がいいと思います。
と毅然とした態度で一蹴してみせた。ただし「読まれるとよい」と指定した、軍事アナリスト小川和久氏の記事はやたらと長いので、かのツイッタラーが五つ目の記事として読んだかどうかは定かではない。
しかし、「左翼は頭が悪いのか」「それとも中国のスパイなの」と二つの可能性を検討してはいるのだから、必ずしも「中国のスパイと決めつけ」てはいない。ただ、可能性の検討としても「中国のスパイ」はお粗末だ(中国のスパイが仮に存在するとしてもそんなに大勢はいない)。
また、二言目には「日本も核武装」と言い出すのは、自分自身がへなちょこなため、強大な国家に自己を投影して強くなった気になりたいだけなので、まず先に、自分自身を見直した方がいい。また、核兵器は「持ちたいから持つ」なんていうアイウォッチじゃあるまいし、勝手のきく趣味嗜好品ではないのだ→小川氏の記事が詳しいと思われる
とはいっても、かの年齢不明、性別不明のツイッタラー氏の考え方は、決して極端なものでも異端なものでもない。
むしろ、若い世代のかなりの人がこういう考え方をしているのを、いくたびも目撃してきた。リアルライフでもだ。また、そういう考えの人は意外と好感度の高い人物で、まじめに政治や国について考えていたりもするのだ。
こういう読み手こそ大事にしないとダメだと思う。まして選挙権は18才から解禁になったのだ。さらに、ポリタスと一見して敵対する(のかどうかよく分からないが)こういう考えにポリタスの愛読者が出会ったときに、どう論陣をはるべきか、オタオタしてもいけない。
そんなでオタオタしないよう自分用に少し考えてみる。
わたしの手元に、第一次安倍政権時代に集団的自衛権行使を容認する論が出てきたときに買った本がある。
日本の非武装と沖縄の米軍支配
さて、マッカーサーは、占領を円滑に遂行するうえで昭和天皇の「権威」を利用するために、天皇制の維持に執念を燃やした訳であった。しかし、天皇制を残すことについては国際社会の了解を取りつけるためには、日本の非武装が不可欠の前提であった。この意味で、憲法九条と一条は”ワンセット”として位置づけられたのである。しかし軍事レベルで見ると、マッカーサーにあっては日本の非武装は沖縄の米軍支配と表裏の関係にあった。例えば、憲法施行から一か月後の1947年6月、マッカーサーは外国人記者に対し、「沖縄諸島は、我々の天然の国境である」「沖縄に米国の空軍を置くことは重大な意義があり、明らかに日本の安全に対する保障となろう」と述べた。さらに翌年2月、来日したワシントンの要人達に対し、沖縄を要塞化すれば「日本に軍隊を維持することなく、外部の侵略に対し日本の安全性を確保することができる」と主張して、彼らの日本再軍備論を批判したのである。p.225
その後、日本は再軍備の道を歩むことになったが、マッカーサー発言に鮮明に示されているように、実は憲法九条は沖縄の犠牲のうえに成り立ってきたのである。同じく、安保体制が、在日米軍基地の75%近くを、狭い沖縄に押しつけて維持されてきたことも周知のところだ。すでに見たように安倍首相は安保体制について、米国は日本を守るために「血を流す」のに、日本は米国のために「血を流す」体制になっていないと「片務性」を強調するが、こうした認識は、沖縄の歴史と現実を捨象したうえに成り立っている、と断ぜざるを得ない。p.226
かのツイッタラーは、沖縄差別と言うくらいなら、沖縄の米軍基地に全部引き払ってもらって、そのかわり自国の軍が沖縄に配備されればいいじゃないか、という主旨を言っていたはずだが、浅はかではあっても的外れな意見ではないと、気が付く。
自国の軍が配備されるとは、1.日米安保を解消して 2.九条を改正して、ということだ。
わたしはそれには賛成しない。
が、憲法九条を守ってこれたのは沖縄のおかげ、という認識をもったことはなかった。
今、沖縄について考えるとき、「沖縄を差別していることに罪悪感をもつ/無関心になる」より先に、沖縄に感謝すべきだという、気恥ずかしい話しだが、そういう感覚の変換があってもいいのではないかと、そう思った。
ところで、さっき見てたら、
★「圧力? ないよ」田原総一朗さん、朝生ドタキャン騒動と安保法制を語る
「この憲法は明らかに、GHQが日本に押し付けたんです。押し付けられた憲法に体を合わせるのが実に上手い、と。」(記事後半)
と田原氏は言う。ほんとに煽りのうまい人だと思う。
「押しつけられたんです」たって、それが戦争に負けたってことなんだから、何を今更言ってんの?って感じ。第一、戦後処理の極東委員会を構成する11カ国の中には、ソ連はもちろんカナダ、オーストラリアなどを始め天皇制に批判的な国が多くて、あやうく天皇制がなくなるところ。それをバーターで維持を実現できたのは、ちっとも不利な取引じゃなかった。
なんでも団扇みたいに煽ってりゃいいての、やめてほしい。
ついでだから他の田原記事
『朝まで生テレビ!』の与党議員の出演拒否に見るメディアと政治のパワーゲームの変容
もうね、『朝まで生テレビ!』を30年間やってて日本って少しは良くなったの? って思う。真逆じゃない?って気もする。
「3人の総理を失脚させた」って自ら宣伝してるけど、余計なことしただけじゃない? (よくわかんないけど)
どちらにしろ、この人のテーブルは田原色でしかなくて、狭くて窮屈。いい加減に飽き飽きしている(と、10年前からブログで言っている)。
かと思うと
沖縄の怒りを甘くみてはいけない(田原総一朗)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題
ここで田原さん呼ぶって、どういう意味があるんだろう。ポリタスっていったい何がやりたいのって謎。
これくらいの知識は、他の人でも伝授できると思う。
田原記事以外の。
「本土」の私たちは「県外移設」を受け入れるべきだ (高橋哲哉)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題
なんだかザツな意見ですねえ。これの一日前の
を読んだら、とてもこういうの書けないと思う。
>「辺野古移設問題」の本質は本土観の変質の過程にある
この章の言っている意味がよくわからなかった。
情理を尽くさなくなった、というのはわかる。要は自民党の無知と堕落。