ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね / 岡崎京子
- 作者: 岡崎京子
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2004/02/21
- メディア: 単行本
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帯:「事故の直前まで描かれつづけた、幼いほどに残酷で、どこまでも切なく哀しい、岡崎京子唯一の物語集、待望の刊行!」
- 【目次】
- ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね
- 終わらない
- 一分間(あやちゃんに)
- ある夜の…
- 蛇
- がちゃがちゃ狂い
- 靴を盗む
- 「…とまあ、そんなとこ。(You Know)」
- 「あたしって…」
- 青空
- 「ノート(ある日の)」
- 森の中/二人の兄弟/孤独な王様/王妃たち/赤ずきんちゃん/ある夫婦/その他
古本屋であてもなく物色している時にみつけた。
タイトルがミモフタもなく本質的すぎないか。
『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』ではなく『ぼくは何だかすべて忘れてしまう』だったら買わなかっただろう。
「たち」と「ね」の部分が、誰かに甘やかに話しかけている。
「何だかすべて忘れてしまう」ことを誰かと共有している風だ。
「何だかすべて忘れてしまう」を、誰かと共有できると考えたことはなかった。
けど今の今まで気付かなかったけど、わたしは、「何だかすべて忘れてしまう」ことについて誰かと共有したいと、望んでいるんじゃないか。
だって本当に「何だかすべて忘れてしまう」から…
岡崎京子の絵がエンボスになった白い表紙を眺めながら、虚を突かれたような気持ちになって、だんだん読みたくてしょうがなくなってすぐにも買って帰ろうと思った。
そしたら『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』には値段がついていなかった。
どうしてだろう? この本に限って。
古本屋では何にでも小さな値札がバシバシ付いている。
わたしの読んだ本、わたしの愛したCD、時々見かける棚に並んだそれらにも無体に値札が付いている。そういうのを見ると、なんだか自分が間違っていたような気分になる。間違った夢でもみていたような。
それはともかく、『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』500円までなら買おう。と思って店の人に値段を聞いたらきっかり500円だった。
永遠に対する希求でもなく
終らないことに対してだけ
そう、
終らない。
ぜったいに終らない でも。もう、やめてよ。 ねえ?
これは『へルタースケルター』の創作ノートのような一遍、「終らない」の一部。
「永遠」(というロマン)を見るまい、としている意志が感じられないだろうか。「ぜったいに終らない」のなら、それは同じことのように思えても。
『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』は、そんな風に余計なことは何一つ言わない。
それでいて比喩がすばらしい。言葉でネックレスを作り指輪を作りアンクレットを作り。贅沢に宝石が並んでいるようで、読むのを止められない。
だからといって虚飾に満ちているのでは、まるでなく
リアルと形容したいけれど、リアルで言い切れるものでもなく、ああーもう。読んでみて!!
(といきなり『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』調になってしまったのだ)