グランド・フィナーレ/ 阿部和重
- 作者: 阿部和重
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/02/01
- メディア: 単行本
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患者サマと歩いていて、寒くなったので図書館に避難したら、「芥川賞発表」と大書した文藝春秋2005年3月号が、特設コーナーに置いてあったので、借りてみた。
それほど熱心ではないとはいえ、阿部和重のファンであるわたしは、この小説で阿部氏が芥川賞を受賞したことは知っていた。けれどそのとき小耳に挟んだうわさが、
「ロリコン男が最後に改心する話」
「選考委員の村上龍が『本当の変質者はこんなもんじゃない』と怒った」
というもので、「ロリコン」や「変質者」の部分は、ひょっとしたら「変態」とか「幼児性愛者」とかの他の単語だったかもしれないが、何にしろ、そんなうわさを知ってしまったら、もうまったく読む気が起きなくて、読んでいなかった。
それでも、文学の人としては偉いのではないかと、思った。他blogでこの本の感想を読んだらそのブロガーさんは「阿部ちゃん」とか呼んでいて、なに? この馴れ馴れしさ? お知り合い? と驚いたけれど、わたしも真似っこして「阿部ちゃん、エライ」とは言いたくなったのだ。
そして今回、読み始めたわけだが、案の定なかなか読む進まなかった。
構成としては「東京時代」「友達とだべっているシーン」「田舎にひっこんでから時代」と三つくらいに分けられる。
わたしはやっとこさ「東京時代」を読み終えホッとひといきし、欠片も魅力のない主人公である「わたし」と、これ以上どう付き合ったものか? と思った。さらに、「わたし」は実の娘ちーちゃんに対して性的な行為を行い、それがもとで妻から離婚されているらしいのだが、具体的に何をしたのかは詳らかにされず、ひょっとしてこのままお茶を濁すのかなと疑った。しかし、かといって何をしたかなんて、こっちは知りたくもないのである。よって次へと読み進む興味や力がわいてこないので困った。
そんな中フと思ったのだが、夫の異常な行為に気づいてさっさと離婚に持っていったこの奥さんは偉い。それが速やかにできたのは、奥さんが編集者という仕事をもち、実家の親も健在で、さらに、娘と孫を庇護する経済力と意志をじゅうぶんにもった、恵まれた家庭だったからだ。
もしも、それらの条件に恵まれていない奥さんだったら、どうだったろう? いや、もちろん母親だから、娘を守り抜いたはずだ。と、思いたい。けれど必ずしもそうはなっていない可能性は低くない。娘を守るために離婚をしたら、彼女は安定した暮らしを失う。それがいやさに男に生贄のように娘を無意識のふりで捧げる、というのは、稀なケースではあってもありえないだろうか?
読んだことのある人でないと分からないだろうけど(それにネタバレでもある)、ちょうど、萩尾望都の『残酷な神が支配する』みたいな感じに。
女なら誰でもというわけではぜんぜんないものの、一定の生活レベルのもと繰り返す毎日が、女は好きだ。清潔なリネンや、花を飾ることや、決まった時間にお茶をティーポッドでいれることや、夫や子供の服を決まった曜日にクリーニングに出すことや、毎年お気に入りのカシミアのセーターを買い足すことや…
生活や、自分を守るために持つ女のずるさや汚さは、自分も人ごとではなく持ちうるということを、わたしは感じているので、よけいに思う。
と考えていけば、主人公が何をしたかは知らないが、ちーちゃんの身には、決定的な悲劇は起きていないと思える。「本当の悲しみ」は起きていないのだ。主人公みたいな男は、ココロの中で殺して切って捨ててしまえばいい。
よかった、ちーちゃんは守られている。
とそこらへんで気を取り直し、また読んでいこうと思った。
次は、主人公の人間関係がでてきて、複数の友人にいろいろなことを語らせている。
村上龍の選評にもあるが、幼児性愛者を「わたし」にしているために、幼児性愛者のくせにやけに冷静で評論家風で、いわば作者の分身的存在になっている。そのため、一番安心して読めてしまうのが幼児性愛者の内面、という奇妙な現象が起きている。
反面、一番安心して読めないのが、友人たちの語りで、ロシアで起きたテロだったり、子供が目の前で自殺する話だったりする。
ここらは、村上龍が評価した「伝えるべき情報」ってことだろうし、ほんとうにすごいと思う。
けれど、この前、高橋源一郎の『君が代は千代に八千代に』の「鬼畜」の感想でも書いたとおり、ストレス耐性度の低い神経症ぎみの人は、いよいよ小説なんか読んでいられない時代なのかもしれない。
ちなみに、ここらのくだりでは、「本当の悲しみ」が起きてしまった母子も出てくる。やはり、出てきたのだ。
後半、主人公は田舎に帰る。主人公は作者の分身だと本気で思ったのは、「わたし好みの丸顔で離れ目」とあるところで、それゴマキじゃん? と思ったところだ。ここでちょっと少し笑えたことは笑えた。(作者はゴマキファンで有名。っていうかテレビブロスで言ってた)
後半の醍醐味は、子供ってナンだっけ? と少し考えさせるところにある。
自分も子供とともに生活している身だが、自分の子供なのでよくもわるくも自分自身の延長だ。そうではなくて、子供というものについて。
最近も次から次へと子供相手の犯罪が多発している。逆に言えば、それくらいに子供はひきつけてくるものがある。子供がもっているものや可能性について。
ラスト、語りの力の復興に救済への一筋の光を見出すにいたる、って感じだったと思うけど、自信はない。
面白くもなんともない小説だった。山田詠美の評には「惨めで不遜」とあった。不遜はともかく、惨めな小説には思えた。阿部ちゃんはブルース・リーやフリオ・イグレシアスをリスペクトするうんとカッコイイ男を書けるヤツなのに。
けど、読んでよかったと思う。*1
*1:ものすごく余談だけど、主人公が購入を決めている「美しい紺地のベロアのフォーマルドレス」は、「すみれ色」の方がいいとおもふ。紺じゃそそられないから