実写版映画『バクマン。』は可笑しくて楽しくて、そしてズシンとくる映画
映画館にて、観てきた。
さほどネタバレせずに魅力を伝えているサイトは→これ実写映画『バクマン。』のキャストが豪華すぎる!あらすじなど最新情報 | Ciatr[シアター]
バツグンに面白い映画だった。
テーマ、ストーリー、ギャグ、それぞれの俳優のキャラの立て方、漫画の原稿用紙を舞台にしたCGの数々。
とくに笑ったのは、アシスタント歴が長くて新人にしちゃトウのたった中井が「このかっこうじゃなきゃペン入れできないんじゃ」と素っ裸で漫画描いているとこ。あと、主人公を殺しちゃう案をダメだしされた時に「進撃の巨人では○○目に死んだ」と反論するところ。ジャンプ上層部の編集会議で「女の子が主人公の漫画はダメ」と言う編集者に対して「シティハンターがある」と反論したとこw
あと天才漫画家の新妻エイジが「ラジャーです」と返事したとことかw
いやこれほんの一部なんで、とくにネタバレってほどではないので大丈夫。
というか、漫画の映画化でしかもその中で漫画描いてる状況だから、もうほとんど説明不可能。
そんなで、原作の『バクマン。』というコミックこそ最近のものらしいが、漫画に親しんだことのある人なら、ジャンプの黄金時代を知らないはずもないし、どの世代でも楽しめる。
と、その一方、頭の片隅で思い出していたことがある。
先日みつけた話題
- ドイツ紙「ヨーロッパは日本への興味を無くしてしまった。日本社会はマヒ状態だ」←えっ?:(*゚∀゚)ゞカガクニュース隊
- Trans Vienna -ドイツ語翻訳- : ドイツ人「日本人って、このままだと絶滅するんじゃね?」(ドイツの反応)
(ネタ的には同じだが、下はドイツの掲示板?の訳)
どちらの日本人のコメントも、中身も説得力もないまま、負け惜しみをしている。どちらも、かなり動揺しているのが感じられる。
その点はともかく、
この中で、ノーベル賞作家大江健三郎がこういう事を言っていたと、ドイツ紙が引用している。
20年前、大江健三郎は言った「西洋は2つの日本の間で揺れている」と。
古き良き、侍の、芸者の、桜の、はたまた禅の庭の日本と、最新機器や能率性を追い求める日本の2つである。
「これら2つの間には虚無の空間があり、そこに今の日本は存在している」と、1994年のノーベル文学賞受賞者は語っている。
確か、「曖昧な日本の私」という講演をこの時にしているから、↑そういう事も言っていたかもしれない。
が、大江さん。
「古き良き、侍の、芸者の、桜の、はたまた禅の庭の日本」と「最新機器や能率性を追い求める日本」の、この二つの間には、決して虚無があったわけではないんですよ。
実のところ(当時のヨーロッパ人は知らんかったろうけど)、この二つの間には、漫画、という巨大なブラックホールがあった。
漫画という巨大産業があったという言い方が今では出来るかも知れないけど、当時は、誰もそんなことは思っていない。今でこそ、コミックの出版数が全出版物の○割と、普通に言えるけど、当時は増え続ける漫画の存在感は、苦々しく思われていて、まともにカウントされていなかった。
ここで大江氏が、二つの中間にあるべきものと考えたのは、民主主義とか、民主的なるもの、言論とか、議論とか、あるいは自治とか、そういうものだと思う。だから、漫画という答えなどは想定外だろう。が、事実は、そうだと思う。
なぜ? という理由を今は思いつかない。
今、海外で日本のアニメや漫画が広まっている、という一面があるようだ。日本の製造業が衰えるのと交代するように。
漫画が吸収した、本来育つべきだった民主的なる何かが、これからは漫画から独立していっていいんじゃないか。
そんなことを、バクマン。実写版を見ながら思った。ここまで、第一線の俳優達が演じるところまで、漫画の地位は向上したのだし、もう、ブラックホールとしての漫画じゃないんだ。
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もう一個、気になったこと。
漫画家が、とてつもないブラック仕事だとあらためて気づいたこと。
週刊誌連載の漫画家が、三日四日不眠不休なのはよく知られたことだが、それを自分の夢として追いかける人の存在が、日本の就職環境に及ぼしている悪い影響はないだろうか?
せんだっても、アニメーターの賃金が想像を絶して安すぎることが、問題となっていた。
本人の好きな仕事だからと、是認されてしまっていることも。
週刊誌連載の漫画家にはなりたくてもなれるもんじゃないくらいの、夢の職業だろうから、その人がブラックなのは於いとくとして、他の仕事まで、徹夜当たり前じゃ、困るだろう。
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といった事まで含め、漫画というもの、漫画という存在に、今までになく向き合った気持ちになった時間だった。