八月の路上に捨てる / 伊藤たかみ / 文藝春秋2006年9月号
- 作者: 伊藤たかみ
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2006/08/26
- メディア: 単行本
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毎月文藝春秋を寄付してくれる南さま(かんじゃさま)が、今回は早めに寄付してくれたみたいで、借りて読めたので感想をアップする。
過去のレビュー
■[BOOK]グランド・フィナーレ/ 阿部和重 / 文藝春秋2005年3月号
■[BOOK]沖で待つ / 絲山秋子 / 文藝春秋2006年3月号
受賞リストで確認すると、上記2作品の間に挟まれた「土の中の子供」も読んでいるのにレビューを書き損なっていて残念。この作品も読者をグイグイ最後の1ページまで引きずって行く強い力を持った作品だった。反面、愉快な話ではまるでないので読んでいてツラすぎるばっかな内容なのと、子供の虐待をどう料理して終わるのかという興味に後半すりかわってしまった(作者が、というか読者である自分が)のがどうかなーと思った点ではある。
それはともかく、「沖で待つ」の最初の一行にとても惹かれたことを書いた。
今度の伊藤たかみ作品の場合どうだろうか? わたしはまるっきり惹かれなかった。
黙々と仕事を続ける水城さんに見入っていた。段ボールケースに腕を突っ込み、缶コーヒーを取り出している。腕を折り曲げたまますくい上げると、肘の内側に缶が積み上がった。百九十ミリリットル缶、通称イチキュウ缶だ。彼女は、缶のピラミッドが力こぶで乱れるのを微調整しながら、腕を固めてそのまま運んだ。開いた自動販売機の商品投入口にそろそろと近づけた。
つまり、最初の一行と呼べる部分に「仕事」という具体性のとぼしいパッとしない言葉を使い、しかもその後に続く描写が、その仕事だけが特有にもつ身体の動きであるだけに、映像を思い浮かべるのが大変だったりと、しょっぱなから読みの労働を強いている。といっても、自慢じゃないがわたしは割りとすぐにピンときた。職場の自動販売機に補充にくるコカコーラのお兄さんが人気で、コカコーラの2トンが止まると自販機までよく見学に行くのだ。ちょうどこれを読んだ前日も「あのひたむきな横顔がいい」「まつげが長い」「すごいスピードで缶を入れていた」などの感想が奇遇にも出ていた。そんなでわたしは、自販機の商品投入口に缶を入れる時の特殊な腕の形に親しんでいたのですぐに分ったわけであるが、そうでなかったら、読解に苦心したであろう。
そうやって書き出し部を突破した後は、読者はずっとトラックに乗ることになる。暑い暑い8月の路上を走るトラックだ。トラックは新宿周辺を中心としたルートを一日数周まわり、自販機に缶ジュースや緑茶類を補充していく。そういう、お仕事。
これはツライ仕事だ。ましてこれを一生やるとなると。しかも給料は上がりそうもなく横ばい。給料の横ばいは実質下降を意味する。年をとればとるほど、人付き合いに金も使いたいし必要、身なりも若いときより奮発しないと貧相になる、健康が害されたり体力が落ちやすくなるから健康の維持にコストがかかってくる、などなどの理由で。
それでも自販機の補充職はこうやって小説の中で輝きを放った、その意味では素晴らしい仕事なのだ。
ただ作者伊藤たかみにその自覚はさほどないと思われる。結果として輝きを放てたけれど、それは表現として自覚されてのことではない気がする。
トラックに乗ること(と同乗者の水城さんとの会話)が横の糸だとすると、敦とその妻千恵子の結婚から離婚にいたる成り行きは縦糸かもしれない。この夫婦がなぜ別れていくのかという理由が、小さなエピソードやお互いのクセや会話を丁寧に細かく積み上げることで、不条理なのに納得してしまう形を描いている。けれど、おもな痛ましさは千恵子の方にある。なぜなら敦には水城さんがいる。けれど千恵子にはいない。水城さんがいることが、ツライ仕事を耐えさせ、時に楽しいものにすらさせている。敦はなんだかんだいって能天気に幸せだ。
敦と千恵子の夫婦は、今の時代を反映して共働きでなくてはやっていけない関係上、夫は外、妻は家のような封建的押し付けはない。だから、働きたければ妻も外で働いていいし、本人もそうしたいし、そうあらねば、と思っている。なのにそれをさせない原因がどこかにある。
千恵子は人間関係につまづき働けなくなった、とある。具体的にどういう人間関係かは書いていないので推測だけれど、水城さんの腕に油性マジックで「おめこ」と落書きするような、そういう種類の男がいて千恵子は働くことができなくなったのかもしれない。千恵子と水城さんの働く場所はぜんぜん違うのでこじ付けながら、女性が働く現場として考えるなら無関係ともいえない。水城さんは、ふたりの子持ちのたくましいオバサンだから、もしくはたくましいオバサンとして振舞える立場だから、そんな男は相手にしないでいられるけれど、千恵子はそうはいかないかもしれない。
ただ、作者がそこまで深く考えている気配はない。せめて、千恵子の行く先を少しは暗示してくれればよかったのに。
生活のために「夢」をさっさと捨てたのが女の側ではなく男の側なのが面白い。しっかりものの妻だったら男も「夢」を捨ててないだろう。
この小説自体は「夢」のある内容ではまったくない。でも最後の意固地な明るさは、「夢」(この場合伊藤たかみの芥川賞作家になる夢)があるからなのかなぁ? という印象もある。そんなこと考えちゃいけないんだろうけど。何にしろ、こうやって感想を書き出すとあれやこれやと不満が出てくるものの、読んでいるときはかなり好きな小説で、色々と中途半端なところも、今という現場を伝えるためとも思える。
どこにも出口はないのにどこか胎動を感じさせる、
そういう読後感だった。