教育基本法改正(改悪)決定?!
日々のsukima、「憲法」というカテゴリはあるものの「教育基本法」までは手が回らなかった。
(余談ながら昨日、constitution 2006 けんぽうのしらべものの表示と説明を少し手直しした)
新しい教育基本法、非道いものらしいのだが、整形手術に失敗したみたいな憲法自民案を読み続けて胸が悪くなってしまい、もうこれ以上耐えられない。必要なのは癒しと休息。ああ、きっとそれがねらいなのだ。
聞くところによるとそれは、「愛国心」を強制し、個人の内心の自由を踏みにじるものだとか。
しかし、子供って、言われなくても愛国心ものすごく強いのに、どうしてそんなことするんだろ? 末次郎(うちの子13歳)なんかどんなスポーツ見ても日本日本と応援しているし、SCEの久夛良木氏とかNINTENDOとかものすごく誇りにしているし、もちろん、『ドラえもん』『ドラゴンボールZ』などのアニメや戦隊ものなどの日本のカルチャー(サブカル?)がいかに世界を席捲しているかは、わたしもよく吹聴するところだし、ついでにスラッシュといわれるアメリカンやおいのルーツが我が国固有の女子文化にあることを、とくとくと説明してあげると、いまいちキョトンとしているものの、へーーっとしきりに感心しているのである。日本の戦後60年がいかに実り多いものであったか。
これは、ジョークでもなんでもなく、本当にそう思う。
愛国心に関して大方の子供はうちの子みたいな心理傾向だろうけど、中にそうでないケースがあるとすれば、国籍が他にある者、あるいは移住してきた者、特定の信仰を持つ者、平将門の子孫、日本書記以外の神話をルーツとするがその神話を抹消された者の子孫、普通に日本人だけど、象徴天皇制に疑問を持つ深い思考の持ち主、などなど、が考えられる。
(であったとしても、即座に、日本という国への愛が「ない」とは決め付けられない。政府が望むような愛国的態度ではなかったとしても)
もともと、「ゆとり教育」が学力低下を招いたってことで、資源のない日本の最大の財産は人的資源である、との観点から学力、知力の重要性が叫ばれているというのに、自由なきところに真の思索って生まれるのであろうか?
仕事が休みだったので、今朝ゆっくりと子供達の登校風景を見ながらふと思ったのは、このままどんどん集団主義的になっていけば、適応できた子はいいとして、かなりの子が不適応を起こして、孤独に苛まれたあげく特定の宗教に入っていくのではないか(本人が入らなくても、まず親が。その場合の宗教ときたらあそこかな)。あるいは、中学まではなんとか耐えても、高校でドロップアウト、行き先もないまま自衛隊(その頃には自衛軍、もしくは防衛軍)に入るしか道はなくなっているのではないか。
大勢と一緒に登校する子と、ひとりで登校する子。今でさえ、ひとりでいることがどれだけ負担か。昔なら「それぞれの自由」と解釈されたことが、後者の身の上の子にとってますます痛々しさを増しているのではないか。自分が後者であったに違いない者として、それが気のせいであってほしいと願うけれど。
教育基本法の改正(改悪)や憲法の改正(改悪)、それにマスコミの右傾化と呼ばれるものなどは、インターネットの普及と無関係ではないと思う。2ちゃんねるはもちろん、こうやって例えば「象徴天皇制に疑問を感じる」なんて書けていること自体、ごく数年前までは考えられない「自由」なのだから。だからこそ政府はこれ以上の「自由」を怖れ歯止めをかけようとしている。一方マスコミはマスコミで、割りの合わない権力を糾弾する係りであるより、権力の座そのものを選ぼうとしている(かのように見える)。
象徴天皇制に限らず、いまや正しさや真実の所在は、学校の教科書よりも、それに巨大マスコミの社説や見解よりも、googleのSERP(検索結果ページ)上位1位から5位あたりまで、に存在するようになった。
これはこれで良い事かどうか、これから多くの人が考えていくことであって、今答えは出ない。
どちらにしろ本当に大事なのは、政府ではなくマスコミでもない。それにgoogleでもない、ってこと。