子どもが見ている背中―良心と抵抗の教育 / 野田正彰
- 作者: 野田正彰
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/10/13
- メディア: 単行本
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2006年の9月、「国旗国歌強制は違法/東京地裁、賠償命令も」という報道があって、わたしも「よかったー違憲ってことになったんだ」などと喜んでいたわけだけど、その後12月にもやや似た訴訟があって、「日の丸・君が代」反対教諭への戒告は適法…東京高裁というのだった。
訴訟としてはだいたい似た内容であり、同じく東京の裁判所が出した判決だけれど、逆の結果が出ていたのだ。しかし、こちらは年末の忙しい時期だったせいか、あまり話題にならなかった。
あと、ちょっと違う点があるとすれば、12月の先生は、「日の丸や君が代に反対の意思を表す服装で入学式に出席」したということで、日の丸に斜線が入った模様のブラウスを着ていたらしく、実物を見ていないので何ともいえないながら、パフォーマンスとして大胆というか、場にいた人間としては、それが日の丸に斜線であれ星条旗に斜線であれ、目に余る何かを感じたのかもしれない…
という見方もできる。
見方もできるが、日の丸反対衣装の教師 ネットでは処分妥当が圧倒的などという記事を見ると、なぜ一個人であるところの日の丸斜線先生にそこまで追い討ちをかけねばならないのか。このj-castというのが何者かはよく知らないけれど、多数派意見なら正しいわけではないのは、ナチスドイツがドイツ国民の多数派に選ばれているという超有名な歴史が証明しているだろう。第一、ああいうのは、「日本人の平均貯蓄額」が、貯金のない人や借金まみれの人なんかは平均値の中に入れていないのと同様、ここぞとばかり深く考えもせず反射的に意見を言った人の中での多数派、というだけに過ぎない。
と、かように憤懣ヤルかたない気持ちになったため、前回紹介の『法と掟と』とともに買った本。
で、『法と掟と』よりも先に読み始めたものの、そんじょそこらのサイコホラーより神経をさいなむコワサだったため、読むのが難航した。
本は、著者がせいしん科医のためだろう、何人かの学校の先生の精神が病んでいった過程を詳細にリポートしているもので、ことに自殺した広島の校長に関しては、だんだんこっちまで死にたい気分になった。また、「心のノート」なる「河合隼雄文化庁長官(当時?)」が作ったという家族愛から郷土愛、そして愛国心へ誘導する、全国の小中学校に配布したノートのことなどは、その河合隼雄の心をまさぐる手つきが巧妙で参った。
ごく一例を挙げると、ノートには、「うらやましいと思うことは何か」とか「自分の好きなところ」とか「自分の改めたいところ」などを書き出させる。そしてそこから礼節などの規範行動へとソロソロと誘導していくというアンバイだ。こんなのは、個人情報保護法どころではないプライバシーの侵害だろう。もちろん、自分の心を守るため無闇に自分の弱点や手のうちをさらさないのは、本能的行動と思われるので、子供は適当に書きなぐるだけですますだろうけど。
どうか、「心」などいじろうとしないでほしい。
ちなみにうちの子供(中1)に「心のノートある? 見せて」といったら「そんなの使ってないよ」とのことだったので、現場の先生が不要と判断したのなら、本当に正しいと思う。
今までさほど深く見ていなかったが、そんなで愛国心を強調しているという教育基本法改正(悪)案を見たら、こちらも実に気持ちが悪い。曰く
(教育の目標)第二条
教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
1 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。2 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
3 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
4 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
5 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
「態度」「態度」って、「態度」って何? 6個も出てくる。(第二条以外にもあと1個。)「真理を求める態度を養い」ってことは、態度さえあれば真理はいらないんだ。たしかに、歴史も文化も深く考えれば考えるほど、愛するとか愛さないとか簡単に結論はでないだろう。だから本気はいらない、態度だけでいいと言っているのだとしたら、このバカ正直は気分が悪すぎる。
思いついて「教育基本法 態度」で検索したら、教育基本法「改正」反対の意外な面々 2006年12月26日16時23分という記事が。
12月12日午前、教育評論家の尾木直樹さんは、参議院議員会館内の会議室でマイクを握り、こう切り出した。
「組織の一員として記者会見するなんて初めてです。評論家としては組織に縛られず、いつも自由な立場でいなければならないと思ってきましたから。でも、いまはすごくせっぱ詰まった気持ちです」
尾木さんをこんな気持ちにさせたのは、すでに衆議院を通過し、参議院で審議中だった教育基本法改正案だ。15日、参議院でも可決され、成立した。
●何もしないの悔しい
尾木さんと共に記者会見に臨んだ日本大学文理学部の広田照幸教授(教育社会学)も、これまではこうした運動に参加することを避けてきた。自らの考えは研究成果で発表する誠実な研究者でありたかったから。でも今回は、「気がつくと、国会前でメガホンを持って、反対を叫んでいた」
13日にキャンドルを手に改正反対を叫び、国会を取り囲んだ4000人の中には、自称「1カ月前までは反対運動をしようなんて思ってなかった学生」の浅野大志さん(22)の姿も。埼玉大学教育学部に学び、小学校教員を目指している。参院特別委の公聴会で、公述人として発言もした。
そして、文芸評論家の斎藤美奈子さんまでが、「久々に市民運動意識に目覚めた(笑)」と、知人らにメールを書き送り、こんな言葉で、改正案の今国会での採決を阻止し徹底的に審議するよう求めるネット署名への参加を呼びかけた。
「ずっとヤキモキしていたのでしたが、絶望するにはまだ早いってことで。何もやらないのって悔しいじゃないの」
いつもはクールな知識人たちが熱くなっているのは、なぜなのか。
広田さんは言う。「教育基本法は教育における憲法。成立しても明日から何かが変わるわけではありませんが、教育に関するすべてのことに影響を及ぼす。5年後は教育を巡る空気の組成が変わっているでしょう」
教育の理念や原則、枠組みと、政治や行政の責務を規定した現行法が、権力の介入を規制し教育現場の自由や自律性を保とうとしているのに対し、改正案は子どもや家庭に、「かくあるべし」という像を押しつけ、命令し、縛るものになっている、と。
その最たるものが、新設された「教育の目標」という条項だ。「真理を求める態度」「勤労を重んずる態度」「国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度」などを達成することが教育の目標だと、こと細かく定める。
斎藤さんは言う。
「日本の教育は戦後61年間、現行法の下で理想の教育を目指してきた。もはや空気のようなものだったけど、改正後は過剰に意識されるでしょうね。しかも、『態度』のオンパレード。『態度悪いぞ』とチェックされるようになりますよ。だいたい、法律に人格を規定される必要なんてあるんでしょうか」
文部科学省は次期国会で、学校教育法の改正を目指している。学校の種類や、何年間で何を学ぶかなど、学校制度の基本を定める法律だ。幼稚園から大学まで、各段階の目標に、愛国心などの徳目が盛り込まれる可能性がある。
●「可能性はまだある」
教育基本法改正案は、政府に「教育振興基本計画」を策定するよう求めており、教育に関する予算はこの計画に基づき配分される。計画には学力テストが含まれる予定で、成績のいい学校に予算が重点配分されることも危惧される。
広田さんらが呼びかけ人になり斎藤さんも賛同したネット署名には1万8084人が参加し、全国で反対集会やデモ、署名活動が続いた。斎藤さんは、こう期待する。
「メディアを含め、この改正で何が起こるのかに人々が気づくのは遅かったけど、この秋以降の盛り上がりはすごかった。法律は成立しちゃったけど、現場の運用で行きすぎを止められる可能性は、まだあるんじゃないでしょうか」
とのこと。
話をもどす。
本は、判決の記事だけでは見えてこないもっと奥を知らせ、どうして「君が代」のピアノ伴奏が行えないのか行いたくないのか、というその人固有の背景をレポートしている。それを今ここで説明すると相当にはしょっることになるのではばかってしまうが、あえて説明すると、まず彼女がクリスチャンであることと、「自分が生きていることの喜びを表現し、それを伝える力」「生きていることの喜びを、演奏する人間が伝えるのと同時に、聴いている人と一緒になって感じ合うことができる」音楽をしたいと考えていること、そしてさまざまな民族の音楽との出会いがあったこと、などなどを挙げている。
ネットには「公務員の決まりなんだから守れ」という意見も多い。
しかし、公務員としての決まりを守る<ため>に先生になる人はいない、ということは、いくら強調してもし足りない。
ここらへんは、『法と掟と』の受け売りではあるが、本来、各自の理想や思いや希望や野望や欲望を実現させるのが第一義で、
法は、複数のそれらが競合しあった時の調整のために最低限の権限をふるう。
あれしろこれしろ、あれするなこれするなと、いちいち事細かに義務や責任を支持命令するものではない、ということだ。
また、こういう先生を非難する言説のほとんどは、「決まりなんだから守るべき」「国歌を歌うのは国民として当たり前」というばかりで、「君が代」自体の、音楽としての良し悪しや、その歌詞の意味内容を検討しての判断があるわけではない。
一度、ほんとーーーに、心をこめて歌ってみるといい。わたしはやった。「きーー
みーーーがーー」のあたりで禿げしく退屈になり根気が途切れた。もちろん、意味内容の検討もした。
☆ ☆
……ということで、あれやこれやと断片的になったので、また機会があれば書きたいと思う。
つづく…鴨☆ ☆ ☆