滝山コミューン一九七四 / 原武史

滝山コミューン一九七四

滝山コミューン一九七四


群像2007年6月号を買った。

興味深いタイトルの記事があったので紹介する。曰く「僕らが子供だったころ、『理想教育』が実践された」というのだ。記事は対談で、『滝山コミューン一九七四』というこれから出る新刊本についての、著者自身と重松清氏の対談となっていた。ちなみに、なぜ重松氏なのかというと、『滝山コミューン一九七四』はいろいろと引用文の多い本なのだが、最後に引用していたのが、重松氏の『トワイライト』という小説?の一節だったので、そこでお呼びがかかったのかと思う。

ただしわたし自身は、ラストに『トワイライト』の引用とともに感傷で締めくくったのはちょっと違うと思ったし、ネタバレになるけど、『滝山コミューン一九七四』を本当に書く資格をもった人間は、たとえば中村美由紀であって著者ではない。その点、おセンチムードでまとめないで中村さんの心境をもっと詳細に書いてほしかったと思え、ドキュメンタリといっている割りには中途半端すぎるじゃないか? と思ったりした。

それはともかく「僕らが子供だったころ、『理想教育』が実践された」という対談。
著者の原氏はわたしと同じ1962年生まれで、わたしも前前から、自分が小学生だった頃の、E先生という先生のもとでの教育こそが「理想教育」だったんじゃないかという漠たる思いをもっていたので、タイトルを見ただけで「やっぱり」と思った。

しかしよく考えたら、「理想教育」といっても、誰にとっての「理想教育」なのかによってその意味はまったく違ってくる。一番良いのは子どもそれぞれにとっての「理想」だけれど、ことによると、国家にとっての「理想」かもしれないし、特定のイデオロギー(民主主義、資本主義、国粋主義、皇国史観etc…)にとっての理想かもしれないのだ。いったいわたしが理想と感じるあの教育は、誰にとっての理想だったのだろう? その答えによっては、国家等の変なモノのための理想教育に洗脳されたアホアホさんということになる>自分

しかしながら不思議なことに、誰にとっての理想教育だったのかは対談を読んでもよく分らなかった。
そのことが、『滝山コミューン一九七四』を読ませた。

先に言ってしまうと、この本のタイトルが『滝山コミューン一九七四』なのは大げさである。『団地の子供一九七四』とか『全生研の恐怖一九七四』なら、かなり実際の本に近い。

なにせ、「滝山コミューン」の本題が出てくるのは、3/4も読み終わったあたりだろうか? そこへいたるまでは、直接にはあまり関係のない鉄道の話が多く、ネットで見ると、著者は鉄道マニアで有名らしいので、同好の士には嬉しい余談だろうし、わたしも立川生まれ府中経由千葉育ちでなおかつ成人後は西武線、東武線、武蔵野線、中央線沿線を転々としているから、それら路線がたくさん出てきた時は無条件に嬉しくなった。しかし著者は早々と、今現在は東久留米市滝山を含む西武圏の住民ではなく東急圏の住民であることを告白したため、「西武を捨てたくせに今さらなんだヨ?!」という思いが沸き立ったし、団地で育った子供時代が延々と描かれるのであるが、やけに勉強好きな子供で、毎週日曜日にナントカという有名塾に池袋まで通い、さらに有名中学に合格するのだから「ハイハイあんたは頭いいよ、エリートだよ」と茶々を入れずにはおさまらなくなるし、あまつさえ西武と天皇家の関係(特に無いのだが)や、都下を離れ出雲方面に旅行に行った思い出を語る際は、天皇と鉄道の親しき関係をあれこれ書くものだから「こんなところで親天皇思想の押し付けっ?!」とゲンナリしたりした。
自分でも文句の多いやつだと思うが、激情型にツッコみつつ読む癖があるので仕方がない。(最悪ゴミ箱に本を捨てることも)
それでも読み進まずにいられなかったのは、自分がアホアホさんかもしれない恐怖に打ち克ちたかったからだ。
それにこの本はムードの盛り上げが上手く、序章からして破滅へのプロローグといったテイで、今にも怖ろしい惨劇が起きそうな気配にみちみちていた。
なので、こんな一節さえひどく禍々しく読めてしまったほどだ。

新松戸で乗り換えた常磐線の、地下鉄千代田線に乗り入れる営団の車両の斬新さに目を奪われ、我孫子駅ホームで初めて食べた弥生軒の天ぷらそばに感嘆した。私はいまでも駅弁より駅そばの方が好きだが、その萌芽はもうこのときに現れていたように思う。

どんなに怖いエピソードかと思ったら、惨劇ともコミューンとも関係のない、著者の四方山話しである。駅弁と駅そばどっちが好きかという、緊迫感のない床屋談義である。いや実は、我孫子駅ホームの弥生軒は本当にうまいし(震えながら食べる真冬の方が、著者がこの時食べた春先よりもっとうまい)、我孫子育ちのわたしはこの数行で原武史ファンになりそうだった。

が、やはり本題はコミューンの方。
この時代は、社会主義の理想の炎がたくさん燃えていたので、共産党も選挙で「躍進」し、社会党の議席数もすごかった。政界のみならず、首都圏にどんどんと建設された団地に生きる核家族の人々の意識にも、その時代背景はあてはまった。著者がわざわざ「断じてそうではあるまい」と強調するのが、団地のライフスタイルが定着することイコール「政治の季節が終って私生活重視主義になった」という考え。むしろ逆で、PTAや団地の自治体を舞台に、特に母親たちが熱心に政治的な活動をしていった。(1)

さらに驚くのは、本気でソビエト社会主義国の真似をしていた人たちがいたということで、その名も「全生研」(全国生活指導研究協議会)。
本書の後半は、「全生研」のマニュアルの「優れた」実践者である片山先生と、その愛弟子たち(片山先生の担任するクラスの子供たち)を中心に進行する。(2)

今わたしは上記(1)(2)を自分の子供時代のケースにあてはめて考え、気が遠くなりかけている。結末部分で感傷に流れた著者を非難しておいてナンだが、考えているとどんどん涙が浮かんでくるのだ。
そしてごく個人的に結論したのは、4年から6年までわたしのいたクラスを担任したE先生は、片山先生とは違う、ということ。

どこがかというと、片山先生は林間学校で、「全生研」のマニュアル「学級集団づくり」の最後の仕上げとして、感動的なセリフを長々言うが、E先生は、感動的なことは何も言わなかった。感動的なことを言わない代わり、子供たちの行ったお笑い劇「浦島太郎」の小道具として、玉手箱の中にタバコの煙を吹きこんでいた。本人も「馬鹿なことやってんなぁ」と思っているらしく、見ていて可笑し味の漂う、けれど、なかなか煙がたくさん溜まらないので必死こいている姿だった。
その甲斐あって、劇の最後、浦島太郎が玉手箱を開けた時、かなり上手い具合に、モアモアモアーーっと白い煙が出た。

ネライどおりの絵だったと思う。

浦島太郎は煙に包まれ、いっきに年をとり、ハゲた。爆笑。

というオチだっけ? というか、その後どうなったのかまるで記憶にない。覚えているのは、煙を吹き込んでいる先生の姿と、上手い具合に出て来た煙と、確か浦島太郎をやっていたのは足塚君だった、ということくらい。
あと片山先生の「学級集団づくり」と違うところは、わたしのいたE先生担任のクラスは、そこがひとつの学級だった、集団だったという気が「しない」ところだ。選択性緘黙症(という病気みたいなもの)に小学校入学以前から悩まされ続け、集団が苦手、人が苦手で仕方なかったわたしにすら。何も「追求」されず、何も裁かれず何も判断されなかったことが、今ほんとうにありがたかったなぁ…と思うし、クラスという気がしないのに、人がいた、という感覚はちゃんとあるのだ。

☆ ☆ ☆ ☆

そうはいっても、中学に入ると立派に集団的だった。班ごとの競争は当然のようにやっていた。片山先生ほどではないものの、「全生研」的だった。
検索すると、今でも「全生研」はちゃんと存在している。緊急声明として、「教育基本法改悪に反対し、『改正』案の廃案を求めます」という意見を出している。それによると、一九七四年当時もおそらくそうであったように、君が代斉唱や国旗掲揚の強制に異議を唱えている。その他にも、<国家による「公」への従属という枠組みで子育て・教育を縛るもの>と「教育基本法改悪」を定義し強く批判している。どれも賛同できるものだ。『滝山コミューン一九七四』によれば「全生研」は、ソビエトが崩壊した後大幅に路線変更しているので、一九七四年当時とは違っているとはいえ、すごく皮肉に思える。
わたしは最初の方で、「親天皇思想のおしつけ」をされたかと思ったわけだが、実のところ、著者はそんなことをする人ではない。わざわざそうとは書いていないものの、君が代斉唱や国旗掲揚の強制にもきっと反対だと思う。
ではあるが、天皇をめぐる文化全般を否定しているわけではなく、ことによれば相当に面白く思っている。

コトは複雑怪奇にねじれよじれ、自分はAという考えだから、Aという集団に属します、BだからBという集団に属します、ということではなくなっている。

一人の手  訳詞:本田路津子/作曲:ピートシーガー
ひとりの小さな手 何もできないけど
それでも みんなの手とあわせれば
何かできる 何 か できる
ひとりの小さな目  何も見えないけど
それでも  みんなの瞳でみつめれば
何か見える  何か見える
ひとりの小さな声  何も言えないけど
それでも  みんなの声が集まれば
何か言える  何か言える
ひとりで歩く道  遠くてつらいけど
それでも  みんなのあしぶみ響かせば
楽しくなる  長い道も
ひとりの人間は  とても弱いけど
それでも  みんなが集まれば
強くなれる  強くなれる

わたしも嫌いだった、この歌。

まさかこんなに長い歌だったとは。

でも、ひとりの人間は弱いけどみんなが集まれば強くなれるというのは、確かにそうだろうなと思う。

思うのは、思う。

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