『枝野ビジョン』の感想

わたしは立憲民主党の支持者であるが、どうしてもこの本に対して肯定的になれなかったので、選挙も終わったことだし理由を記しておきたい。

そもそもどうしてこんなに日本を褒めるのか、という事が疑問。

枝野氏一流のバランス感覚と、否定からは何も生まれない、というポジティブシンキングの現れなのかもしれない。
一般市民としてならそれもいいが、政治家がわざわざ書籍にするなら、否定、というか批判することを怖れないでほしかった。
そんなに日本が良い国なら、過去も未来も自民党でいいし、政権交代なんか必要ない。

特に枝野氏が褒める日本の美点は、「日本は一神教ではなく八百万の神の国」とか「中国の漢字を吸収して平仮名、カタカナを生みだしたくらいに外国の文化を受け入れる」とか「和を大事にする」とかである。(「」部分は大意)

嘘つけって話しだ。
枝野氏は埼玉選出議員なのに、「同和問題」を知らないのだろうか。
うちは埼玉で子ども3人を育てたが、3人とも、小学校6年生の段階で、保護者も呼ばれて子ども達と一緒に同和教育を受けた。
それくらい、埼玉県は真剣に同和問題に取り組んでいるのである。

同和とは何か? 被差別部落がこんにちまで続いているものだ。
品川区の説明が分かりやすい。

「すでに鎌倉時代中期の文献に部落差別の原型が記述されています。
その後、16世紀末に豊臣秀吉は、農民が田畑から離れることを禁じるために、武士と町民・農民とを分けた身分制度を作りました。
この身分制度をさらに進めるため、徳川幕府は歴史的、社会的な経緯で差別されていた一部の人々を、著しく低い身分として固定し、職業や住むところを制限しました。」

鎌倉時代中期から現代までなら、最近だけに起きた特殊なことではなく、歴史的にみても「ニッポンの一面」として成立している。

枝野氏は「もし日本が、排他的で多様性を認めない文明であったなら、全く異なった歴史を作り、現在は、全く異なった国の姿になっていただろう。」なんて、目も当てられない事を記述している。

これは、エタ非人といった差別する対象を作り、「あいつらよりはマシだ」と優越感に浸らせて、苦しい農作業をがんばらせていた為政者と同じ目線だ。「我が国、うまくいってるな。よかよか」と流涎している目線。
立憲立憲言ってる割に豊臣秀吉目線というのは本当にカンベンしてほしい。

エタ非人の人口比など知らないが、数の問題じゃない。

すべての差別される側の人間が、金輪際ぜったいに許さない目線だ。
(被差別には「女性」「低学歴」「在日」「ちょっと変な人」「空気読まない人」「消費社会に否定的な人」その他含まれる。日本はうわべは優しい社会だから、そんな差別はないかのように装うが)

なぜこの憎悪がわからないのだろう。

そんなだから維新に負けるのだ。

せっかく共闘した共産党支持者だって「こいつ違う」となる。

アマゾンレビューでぼろくそに言ってる人がいる。むしろ共感できるのが、哀しい。

そんでしきりに「僕は保守」と繰り返す。なんかイヤミにしか聞こえない。

だって虐げられる者の生存戦略は、強い者(与党的なもの)に護ってもらうか、この状況を変えようともがくか、ひたすら忍従するかしかないのだから。

☆~☆~★~★

中盤以降、政策の話しなども出てきた。

支え合う というのがキーワードなんだが、誰と誰が支え合うというのか、それが気になって読み進めた。
他人を支える余力のない人が多い中で支え「合う」とは?
どうやら、

弱者を特定し保護することではなく、
大部分の国民の抱いている不安を小さくすること

という意味で言っている様子だ。
そこにはベーシックインカムならぬ、ベーシックサービスといったアイデアが入る。
また、民主主義の必要性の表現として「蕎麦アレルギーの友達」を出したあたりは、非常にわかりやすく適切なたとえと思った。
市場に賃金を任せない、こととか、
弱者の絞り込みにコストをかけない、など。
あるいは、産業以外の価値創造など

「この本はたたき台」(by著者)とのことなので、そういう意味での使い道はありそうだ。

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