グローバル関係学。国内関係学もあっていいか!?
先日、Netflixの『新聞記者』を見たら「そうだ、新聞、読もう」と思った。なので、今まで気の向いた時にガサガサ大ざっぱにめくっていた紙面を、最近は指先も華麗に丁寧にめくっている。
本日特に手が止まったのは、【考える広場】「グローバル関係学で世界を見る」~論説委員が聞く 。
「国家主体 もはや古い」の文字も大きく踊っている。
昔から中東問題といえばコメントを求められていた千葉大教授の酒井啓子さんに、自身も30年以上中東を取材してきた論説委員の田原さんが、自分の経験と悩みもふまえて質問していく。
ちなみに悩みとは“9・11以前からアルカイダを含めイスラム復興運動をテーマに記事を書いても、なかなか掲載されなかった” ことなどだ。
なぜ掲載されなかったのだろう。「そんなことに興味をもつ読者はいねえよ」とキャップが判断したからと、思われる。「イスラムじゃ金にならねえんだよ」、と。
いやもう、ここに答えはあるのじゃないか。
何の答えか? アルカイダがなぜ9・11を起こしたのか? の答え。
実際、どこを調べても、その理由が書いていない。
声明も結局出していない模様。
ハフィントンポストにそれらしいタイトルの記事があったから読んだが、9・11の悲惨さを伝える以外は、最初からテロ集団と定義しているのみで、テロへと至る思考の道筋が追求されていない。
アメリカ帝国(アメリカ以外も)の価値観は欲望をあくなく追求することだ。地球の資源を堀りあさり、空気を汚し、気候まで変え、そのためには貧しい国の国民(労働力として)ふみつけ、食欲をそそる外見に固執した食べ物を次々に作っては捨て、海の魚の腹にまでプラスチックを流し込み、島を沈め、竜巻を起こし、人為的レベルの大雨台風強風。
これらは行きすぎた欲望の果ての現象であり、理性をもって歯止めをかけられない証左なのである。つくづく、人間が一番偉いというのは幻想だ、という考えが主流となり、人間中心主義が後退しているというが、今さらとは言え本当だと思う。
そりゃ、アルカイダが直接そういう理由でテロを起こしたとは考えにくいが、つまるところそういう動機も含まれるのじゃないか。
00年代後半、当方もブログにアルカイダやアフガニスタンのことを書いたことがあるが、その際のカテゴリーは「軍事」「政治」だった。ほんとうのカテゴリーは軍事でも政治でもなかったのだ、と、今になって思うのだ。
本記事は、酒井さんが提唱している「グローバル関係学」についてだ。この学問、「グローバルな危機を把握分析するための関係学」であり「地道に地域研究をしてきた人々の成果を基礎とした学問」であり、「『世界が単純ではなく、変幻自在であること』を認識する学問とのこと。
コロナを契機にして、国家主体の考えは大幅に減って、グローバル関係学でいってほしいと、つくづく思った。
昨日書いたのを本日投稿しました