9月20日、天皇皇后が高麗神社に来ていたっ。

日本国憲法第一章にて「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と位置づけられている天皇陛下。と、「陛下」と付けるのに、なんか抵抗ある。国民主権なんだから国民であるこっちの方が偉いはずなのだから、何もへりくだることはないじゃない、と思うが、そこは日本の連綿と続く文化ってものがあると思われる。

しょうがないから適宜「陛下」と付けることにするとして。(←あっさり)
にしても、昨日もテレビで天皇は外食するのか??とか、天皇の食事前に誰か毒味するのか ??とかやっていたけど、天皇皇后にもっと自由と人権をあげたらどうなんだろう?! 正真正銘彼ら、ヒューマンなんだから。あんまり無茶な祭り上げはやめないと、また雅子さんが適応障害を起こしてしまうし、そもそも、そんなじゃ日本人の人権意識が育たない。 日米地位協定 にもっと関心をもって、日本の空も土地も日本のものであり、駐留しているアメリカの権利は制限しないと。いくら戦前までは天皇が現人神(あらひとがみ)だったからといっても、国民に主権が移って72年もたつのだ。72年も!!

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彼岸花の写真
彼岸花

ところで、そんな天皇皇后が、なんと!! わたしも旅してブログ記事にした高麗神社に、今年の9月に来てくれていたのである。
その情報を知ったのがつい最近であるため、驚喜乱舞するのが遅れた。
当該記事はここなので、ご来訪のあなたさまも何かの縁だと思ってぜひ一読してほしい。(ついでにこちらも→ 安吾の新日本地理 もう全然別格のすごいエッセイですケドw)

上記記事をPOSTした後も、わたしは何度か高麗神社を訪れた。おそるおそる、そばにある聖天院にも行ってみた。こちらは、高麗神社の開放的な空気と違って、堅苦しいアトモスフィアに包まれていた。おそらく(まだ詳しく調べてはいないのだが)在日コリアンの苦難の歴史が反映していると思われた。さらに敷地内には「在日コリアンのための墓の用地」などもあり、苦難は歴史的過去ではなく現在進行形となって眼前にせまってくるものがあった。

とはいっても、二、三区画以外はほどんど売り手が付いていなくて、その企画すべったねって感じではあった。いくら高句麗ゆかりの地とはいっても、神戸や広島や大阪や福岡や日本全国にいらっしゃる在日コリアンが、わざわざ埼玉の地で眠りたいと思う否かは神のみぞ知るところである。

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まあそこらは置いておこう。余談の域だ。天皇皇后両陛下の「高麗神社」参拝に関する、とても良い記事があったのでリンクする。

天皇皇后両陛下 「高麗神社」参拝で伝えた平和への願い」from NEWSポストセブン

この記事には、あれこれ調べ抜いたわたしでも知らなかった情報が盛り込まれていた。しかも明快に書かれているので読みやすい。ことに、2001年の誕生日会見で天皇陛下が「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、『続日本紀』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と大胆発言していたことなど。さすが天皇皇后、さりげなさの中に奥深い英知がじわっと滲んでいる。

他のエピソートとして、1980年頃、皇室ジャーナリストの神田秀一氏が高麗神社の関係者から受けた相談というのがあって、「こういう事があったのかー!?」と興味をもった。いわく、
“陛下に足をお運びいただくことはできないものでしょうか?” との相談だ。
1980年なら昭和天皇の頃だ。この時、宮内庁側から返ってきた答えは“NO”であったとのこと。

ということは、それから40年の時を経てやっと実現した参拝、ということになるのだ。
なんとも、感慨深い。

この40年という時間の、何がどう変化したから高麗郷への旅が許されたのだろう? 考え出すと何とも面白い時の流れだ。

そんなで、現在の北朝鮮との緊張関係もからめ、天皇皇后が自らさりげに半島との強い関係性を語り、歴史認識と、ヘイト層への牽制と、平和への祈りとの、ミラクルトリプルループを決めた姿を伝えていたのであった☆

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