15時17分、パリ行き

公開中の映画です。
観るまでこの先は読まないようお願いします!!

本作、2015年8月21日に実際にあったテロ未遂事件「タリス銃乱射事件」を題材にしている。
題材、どころではない。
事件の再現はもちろんのこと、関わった人たちのほぼ全員を、本人たちが演じたという。
スペンサー・ストーン、アレク・スカラトス、アンドニー・サドラーの、テロを直接に防いだ、いわばヒーローにあたる主要メンバー三人だけではない。犯人の銃弾を受けて重症を負った人、その救護に当たった人、列車に乗り合わせた人々、救急隊、フランスの警官隊。最後に出てくるフランス大統領まで。参照

なんつうことだろう? 前代未聞じゃないか? もっともわたしはそんな話ぜんぜん知らないで観た。
最初から知っていれば、「映画が映画でなくなる感覚」を味わえたろうに、ほんとうにもったいなかった。この感想文のために情報を調べてて初めて知って、えええっ!! と腰をぬかしたのだった。

意外ときゅうくつなアメリカ

冒頭、黒人ひとりと白人ふたりの三人組が車に乗っている。
どういう関係なのかの説明を兼ねて、時間をさかのぼって小学校時代が描かれる。
三人、ことにストーンは、クラスのはみ出し者で問題児。その原因を担任教諭は、親がシングルマザーだからと決めつけたり、ADHDと早々と決めつけ薬を飲むようにすすめたりと、案外アメリカも窮屈なところだなと思った。

お母さんは子どもに手を焼いて、いつも怒り、いつもため息をついている。特別な存在として描かれるわけではなく、母親も普通の人。
そうしているうちに、じょじょにじょじょに、本人達は青年になっていって、じょじょに時間が満ちてくる。

少年時代のストーンは、夜、こんな祈りを捧げる。

神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。

フランシスコの平和の祈り という、とても有名な祈りらしい。
ウィキペディアによると、マザー・テレサやヨハネ・パウロ2世、マーガレット・サッチャーなど著名な宗教家や政治家が演説の中で引用や朗誦を行い、公共の場で聴衆と共に唱和するなどして有名とのこと。有名だから、ストーンもどこかで覚えたと思われる。

そうしてじょじょに、エネルギーが満ちていく。(具体的には、人の命を救助したいという憧れ、ひいては空軍パラレスキュー隊への志向が強くなる)。

ここらへん、どう言えばいいんだろう?
ストーンの、巨大な憧れ、思いの強さを。
それは、なぜ生まれてきたのか、何のために自分は生きているのか? という大きな問いを感じさせた。ストーンは、そうは言わないけれど、この世に、なぜ生まれてきたんだ? なぜ生きなければならないのか? そんな問いに突き動かされている。

さっき、窮屈なアメリカと思った。今度は、こんな大きなエネルギーを受け止めることのできる大きな国と思えてきた。
どうしてアメリカ人は軍隊なんかに入るのかと長年疑問だった。ましてや人の国の沖縄にまで大挙して押し寄せて何かやってる。迷惑このうえない。
けれど、政治家や軍の上層部ばかりが悪くて軍が存在するとか戦争が起こると、決めつけられないのかもしれない。
ひとりひとりの人間のとてつもない大きなエネルギーと問いの力が軍と、戦いへと向かわせる。

ついにイーストウッドが自撮りを撮った!!

これからの時代の戦争は、テロやISISとの終わりのない戦争であると言われる。
えんえんと続き、そしていつまでも勝てない戦争であると。
イーストウッドが描いたのも、そんな現代の戦争=テロとの戦いだ。

上記映画コムの記事も「ついにイーストウッドがテロを描いた」と、その点に着目している。
で、同時にみょうに可笑しかったなぁと思い出したのが、イーストウッドが大真面目に自撮りする若者達を撮っていたことだ。
なにせ事件は、幼なじみ三人組が2015年にヨーロッパを観光旅行した際に起きている。
自撮り棒でガシガシセルフィーを撮ってSNSに上げるという、実話を本人が演じてるのでなおさら避けて通れない描写を、おんとし87歳だけどがんばって撮っていた。わたしの年でも馬鹿馬鹿しく感じるのに、イーストウッドはやっぱ違う、えらい。

運命なのか、決断なのか

テロ犯と立ち向かった行動を「運命」ととらえるのか、「誰の身にも起きること」ととらえるのか、はたまた「勇気ある決断」なのか?とらえ方が錯綜している。けど、どれも間違ってなんかいない。

イーストウッドはアメリカの魂を代表している。
だから、アメリカの悪口めいたものは描いていない。
けど、自分の祈りと使命感と運命と命の力に突き動かされるという意味合いでは、テロ犯人も、ストーンたちも変わらない。
いっしょくたにするわけにはいかないから、わざわざそこを強調しないだけで。
職業俳優が演じたら、不屈のヒーローがかっこうよく悪者退治する話になりかねない。
そこを、本人たちが演じることで、とにかく実話なんだから。
それに、あの祈りだって、ほんとうにそうなんだから。
そこをとことん突き詰めた。
最後はもう涙涙で胸がいっぱいになった。
どうか、
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを!!

 


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