20年前の死語は、現在でも死語とは限らない、のかも知れないな。
二週間ほど前古本屋の前を通りかかった。
店外のワゴンには二束三文になった古本がたくさん並んでいた。
こういう時、わたしは必ず一通り眺める。
まずパッと目に留まったのがこの二冊だった。「そういえば、最近『死語』という言葉自体を聞かなくなったな。気のせいかな?」と思った。
「死語」ってまさか死語? そうかもしれない。死語とは、多くの人にとって周知の言葉であり、かつ使用していた用語で、それが今は使われなくなった、という意味のはず。
しかし今の言葉は、たとえば「ビットコイン」ひとつをとっても、わたしは使う機会がない。なにせ、ビットコインなど持っていないし、その意味もろくに分かっていないのだから。なので、誰かにとってビットコインという言葉が死語になる時が来たとしても、わたしにとっては来ないと思う。
なんとも寂しい話である。そう考えると死語を生み出せた時代へのノスタルジーが沸々と湧いてこようというものじゃないか? ってことで買った。2冊で100円だ。懐古趣味にひたってイヤされようと思っただけだったのだけど、想定外(死語w)に面白い本だった。
現代<死語>ノート、現代<死語>ノートⅡ
前者は、1956年(昭和31年)~1976年(昭和51年)に発生した言葉で、現在は死語になっている語
後者は、1977年(昭和52年)~1999年(平成11年)の、同。
書かれたのは前者が1996年、後者が1999年。
全体的にいうと、一冊目の方が面白い。Ⅱの方は、バブル崩壊や就職氷河期と暗い世相へ突入していくから、おっつけ言葉もギスギスしてくる。
一冊目の楽しさは、たとえば一九七〇年の場合はこうだ。
<ハヤシもあるでよ><ウーマン・リブ><やったぜベイビー><Oh、モーレツ!><ニャロメ>
…… 素朴だ。あきれるほど素朴だ。この時代の人って本気でアホだったんちゃうか? ってくらい素朴だ。
その20年後、一九九〇年の流行語はどうだろうか?
<バラドル><ボーダーレス><グローバル化><臨海副都心><3K><成田離婚><結婚しないもしれない症候群>
… 馬鹿馬鹿しさ度がぜんぜん少ない。流行語だったはずなのに、にじみ出る必死さがある。ちなみに、「新語・流行語大賞」は一九八四年から始まっているんだが、自由国民社の選んだ一九九〇年の新語・流行語は、愛される理由、パスポートサイズ、一番搾り、ちびまる子ちゃんなど、小林氏の選んだものよりは明るいというかコマーシャルだ。
小林氏は単にかつての流行語を挙げるのみならず、その言葉への洞察を加えているのであるが、それが時代批評もかねた説得力と普遍性のあるものなので、読ませる。それと、生活にとってもっとも切迫した事情である経済問題と言語を連結させるのを忘れていない。
そんなで、死語にはかつての楽しかった思い出のつまっているものもあれば、「なんだかなー」とテンションの下がりまくるのもあったり、「これあたし今でも使ってるワ」ってのもある。どれも紹介したい言葉ばかりだ。が、「就職氷河期」の年表を作っている当方であるから、そこらに関連した死語をいくつか引用しよう。
(文中の太字と下線は当方による)
一九六一年
<高度成長>はこの時点では流行語ではなかった。
<所得倍増>や、それをからかった<物価倍増>は流行語になったとしても、<高度成長>は流行語にはならなかった。
国民所得倍増計画は、実際はGNP(実質国民総生産)の倍増計画であり、十年後の一九七〇年度を目標に実現しようというものだったから、一九六一年には<高度成長>なんてコトバは一般的には使われなかったとおぼしい。
ぼくは<所得倍増>を信用していなかった。いったい、政府はどこまで嘘をつけばすむのか、というのが偽らざるキモチだった。
中学一年のとき、日本は戦争に負けた。国も、教師も、新聞も、それまでの虚偽をただの一度もわれわれに謝らなかった。
それからの五年間、日本国は貧しくても、<平和国家><文化国家>になるのが理想だと教えられた。<暮らしは低く、想いは高く>という言葉を偽善とは思わなかった。皆が貧しかったのだから。
一九五〇年、朝鮮で戦争が始まったころから、世の中はまた、変わってくる。レッド・パージの嵐が吹き、五年間、息を殺していた戦時中の文化人たちが復活してくる。マッカーサーが原爆を使い、報復として日本にも原爆が落とされるかも知れないという噂がささやかれる。
これだけで、ぼくは三つの時代を経たことになる。そして、今度は四つ目の時代<所得倍増>ときた。
ぼくの<所得倍増>への疑いが間違っていたことは、数年後に判明するが、おおざっぱなまとめ方をすれば、かつて<米英撃滅>という目的をあたえられて走り出した日本人は、今度は<所得倍増>めがけて走り出したのである。それこそ、戦時中と同じ<月月火水木金金>(休みなしの意味)の勢いで──。
一瞬、なんのことだか分からなかった「マッカーサーが原爆を使い、報復として日本にも原爆が落とされるかも知れないという噂」。広島、長崎に原爆を落とした後も、なおマッカーサーは原爆を使おうとしていた。それが噂になっていた、という事らしい。
しかし、どうして日本人は、どこかに向けて走らないでは気が済まないのだろう?
一九六二年
<中間層>
言葉が発生したのは前の年の「週刊朝日」であるが、一般化したのはこの年。
<昔の中産階級ではない。収入でいえば、月収二万五千円から六万五千円程度、とにかく、“不思議な消費力”をもつ膨大な群衆である。>(週刊朝日一九六一年七月七日号)
もともとは<資本家と労働者の間に位置する層>の意味らしいが、<新しい消費者の層>の意味になり、家電、自動車メーカー、洋酒メーカーの絶好のターゲットになった。
ひとことでいえば、日本の高度成長期の推進力はこの<消費者の欲望>であり、家を別にして、あらゆるモノを欲しがった。家はちょっと、入手しがたいのだった。
今の時代、「中間層の没落」ということがよく言われている。その中間層が、ここで流行した中間層だ。
一九六三年
経済成長は波に乗り始めたが、物価の上昇が大きかった。日本人の大半は<所得倍増>の夢の中で生きていた。それまで日本になかった、そしてその後もあり得ない<バカンス>という言葉が流行したのは、悲しい現実である。
<バカンス>
流行語であった。間違いなく。
しかし、フランス語の<バカンス>とちがい、せいぜい二三日の休みである。<レジャー>を一日とすれば、<バカンス>は二三日の休み、休暇だった。
だから、日常会話の中で<バカンス>という言葉が使われることは、まず、なかった。皮肉っぽく使われることはあったかも知れないが。(中略)
日本人は狂ったように働いていたから、むろん、実体のない言葉である。(後略)
なんといってもこの「バカンス」という死語が一番受けてしまった。とてもとても哀しすぎて、笑うしかないのだ。
1963年に「間違いなく流行語」だった「バカンス」は、1963年にも、1996年になっても実現せず、その20年後の2018年になっても実現していない。
不思議なことに、だからといって<バカンス>が死語とも思えないのだ。まだ日本人は、バカンスを諦めきってはいないのかも知れない。
わたしとほぼ同世代の「バカンス」ちゃん。わたしが死期を迎える30年くらいの間に、一度はお目にかかりたいよ。
一九八四年
<財テク>
死語ではないかも知れない半死半生語。この言葉が出た年である。<財務テクノロジー>の略で、<ハイテク>のもじり。
企業が余った資金を株式・債権・土地などに投資して、利益をあげることで、個人も財テクに手を出し始めた。
なるほど、バブル経済はこうして始まったのか。念のために記しておくと、総理大臣は中曽根康弘、大蔵大臣は竹下登だった。
一九八六年
<土地転がし>
不動産業者が土地を次々に買い、高値で転売すること。やがて、素人までが借金をして土地を買った。<土地=値が上がるもの>という神話の下で、投機的な土地転がしが流行した。土地を一人で守っていた老人が殺された事件が時代を象徴している。政府の無策といわれたが、多くの政治家が土地転がしの連中、資金提供の銀行とぐるだったのは、その時点ではわからなかった。<マネー・ゲーム>
東京がこわされるたびに永井荷風の全集が読まれると、ぼくは経験から信じているのだが、<レトロ>志向なるものも、あまりにも極端な土地転がし、マネー・ゲームの風潮から一時的に逃避するためだったのかも知れない。
マネーに関する雑誌が出、新聞・週刊誌は素人に貯蓄と投資をすすめた。マネー・ゲームをやらない者は時代に遅れる、と経済評論家はラジオで説いた。財テクという名のマネー・ゲームを一般の主婦たちが試み始めた。
一九八七年
<フリーター>
フリー・アルバイターの略。
学校を卒業しても定職につかず、ブラブラしている。自分の興味につながる仕事を、やりたい時にやり、生活を楽しむ。就職するよりも収入が多いケースもあった。まことに結構な身分だが、これすべて贋の好況のおかげであり、バブルが弾けると、よほどの特技の持ち主以外は仕事がなくなった。
一九八八年
死語ではないが、この年、バブルと<自粛>ムードにかくれて、進められたのが消費税であって、十一月十日に強行採決される(実施は翌年四月一日から)。
海外での消費税云々をいうが、スーパーマーケットで米や醤油を買い、レジで一律三パーセント課税されるなどというのは日本だけだ。生活必需品以外の毛皮、ビデオなどにかける欧米の消費税とのちがいはそれであり、しかも、日本は生活必需品がとび抜けて高い(当時は世界一)。
<下血><Xデイ><自粛>が、昭和天皇崩御前夜に乱舞した言葉たち。
特に<自粛>はどんどんフィーバーして、中日ドラゴンズの優勝パレード、大銀座祭り、長崎くんちなどが中止or縮小。そんなのは序の口で、日産セフィーロのCMで陽水が車の中から「お元気ですか?」と呼びかけるのも不謹慎ということになり、途中から口パクになった。などなど。
きっと今の天皇皇后も、この頃を再現してはならないと生前退位と考えたのだろう。
(実際、このとき皇太子(現天皇)は「自粛しすぎでは」と発言した。けど、自粛はどんどんエスカレートしていった)この時期うち的には初めての妊娠出産育児で自粛どころではなかったのだけど、テレビや新聞を見れば自粛自粛とやっていたのは確かだ。
しかしもっとも自粛の実害といえるのが「消費税」だったのだ。
小林氏が指摘する通り、「スーパーマーケットで米や醤油を買い、レジで一律三パーセント課税」は、実際日本だけ。例えばフランスだと標準税率 20%に対して旅客輸送、肥料、宿泊施設の利用、外食サービス等が10%、書籍、食料品等が5.5%、新聞、雑誌、医薬品等が2.1%。※
日本の消費税は、当初から欠陥税制度だった。
付記:日本も、10%(来年10月予定?)からは二品目に軽減税率適用する模様だ。ひとつは、食品。二つ目は新聞。新聞もみずからを軽減税率にする前に教育費とか医薬品に適用するよう、得意の世論誘導してみたらどうだろう?
※参考: 消費税10%は高い?低い?日本と海外の消費税を比較 | お金のカタチ 、 消費税の仕組みを解説・増税で軽減税率が適用される品目は? | お金のカタチ
一九九〇年
バブル崩壊が始まっている。しかし、一般人はそれに気づいていない。家を何軒も建てて、ほくそ笑んでいる。
このずれはバブルが始まった時と同じである。人々はすぐにローンに苦しむことになる。<バブル経済>という言葉を前から使ってきているが、実は、この年の一月から三月にかけての金融相場の大幅な下げについて初めて使われたものである。ジョン・K・ガルブレイブスの「バブルの物語」がダイヤモンド社から翻訳・出版されたのが一九九一年の五月だから、そう考えていいだろう。本の中で、ガルブレイスは、<日本の株式市場は政府と大証券会社によって操作されている>と警告を発している。
一九九四年
<就職氷河期>
年表などに必ず入っている語なので、とりあげねばなるまい。今や、これがふつうの状態になったので、半死半生語から死語に近づいている。
バブル以後の就職環境悪化は景気の良し悪しではなく、産業構造の問題であり、一過性の悪化ではない。高度成長期のころの表現ではいいあらせないといので、<就職氷河期>という流行語ができた。この年の大学卒業者の就職難はかなりのもので、社会問題なのだが、マスコミは表面の現象しかあつかわなかった。
ただ、若い失業者はフリーターになるので、失業率としてはっきり数字にならない憾みがある。
この本が書かれた1999年には<就職氷河期>が常態化してしまったため、半分死語認定している様子がうかがえる。
にしてもなぜ「マスコミは表面の現象しかあつかわなかった」のだろうか? 起きていることが分かってなかった、ということだろうか? 拙作「就職氷河期とコレカラ」をあらためて見ると、「安保闘争」を行ったはいいが敗北した世代が、この頃に子どもを産み、その子が氷河期に直面した。氷河期は、同世代のおおよそ誰にも等しく訪れたのだから、少しは一致団結してもよさそうなものだが、その気配はまったくない。
政府、マスコミ、役人らの、安保闘争の負の記憶が、そうはさせまいという力学になったのじゃないかと思うのは、見当違いなんだろうか。
まあ、よく分からないが、六十年代安保闘争と七十年代安保闘争は、自業自得で潰れた面も多いようだが、動機や方向として間違っていたとも思えない(知識不足かも)……
楽しい死語の背後には、楽しくない出来事がたくさんあるのだなと、ひしひし思った…
安保闘争 – Wikipedia より。