市ヶ尾の坂(舞台劇)観た

出演: 作・演出/岩松了
出演/大森南朋、麻生久美子、三浦貴大、森優作、池津祥子、岩松了

舞台の演劇をみに行くの、これで4回目くらいかな。

市ヶ尾の坂は、前回行った劇場で配られていたチラシで知った。

チラシでみる限り、家族構成がちょっと変則的な家族物のようだった。つまり、家族間の人間関係が平凡な日常の中に描き出されるのではないだろうか? おそらくはちょっと風変わりなセリフとともに……

といった感じのイメージでみたところ、そうであったともいえるし、そうでなかったともいえる。なんというか、得意になって感想を言うタイプの劇ではなくて、しんみりした感覚を残す。三人の兄弟がたあいのないセリフでやたら盛り上がっていたので、不思議な兄弟だなと思いながらみたのだけど、最後のシーンで、あああっと思わせた。この兄弟、「それ」が見たさに、あんなに盛り上がっていたのか? この兄弟、実は胸に秘めたる悲しみと思慕をもって馬鹿馬鹿しいほどにじゃれあっていた!? いや違うかも……

劇の紹介ページを見ると、麻生久美子さんは「美貌の人妻」設定だったようだ。が、わたしの席は遠かったため美貌とかはよくわからなかった。だんだん、映画やテレビドラマとの違いがわかってきたのだけど、芝居の場合は、自分の席から見えたもの聞こえたものがすべてだ。ところが前者にはカメラアングル、というものがあって、これがそもそも「編集作業」であり「見せ方」なのである。その前に相撲を観に行ったのだけど、その時にとてもそれを思った。栃ノ心が、すさまじい闘志をこめて自らの体をバシンコバシンコとぶったたいているのが、テレビだとよく伝わる。が、両国国技館の上の方の、うーーんと遠くからだと、小さくしか見えない。つまりテレビカメラは、この闘志を見せようという意思をもっている。国技館の上のほーーうの席だと、そんな意思は介入できない。良くも悪くも。

だから、同じ演劇でも、近くで観た人と、後ろの方で観た人では感想が違ってくると思う。遠くてもセリフはとてもはっきりと聞こえるからぜんぜん大丈夫。美貌の人妻が熱を込めて何を言い出すのかと思ったら、”3っつの風車が時間差で回っていて”、っていう、それがどうした? って感じの話で、けどそう思ってしまったらお互い話しなんかできないよなあってのもあって。だって芸人や咄家でもないわたしたちが、どんだけ面白可笑しい話しができるのかっていったら限界あるわけで。それに生きてる世界は、脚本家の書いたシナリオや劇画やアニメじゃないんだから、コマーシャルな話しなんかできないし。人の感覚や想いや経験ってむちゃくちゃ個別的で人と共有しがたいものたくさんあるし。

にしても、このお芝居って、最後までみたら、もう一回みるべきなのじゃないかな?

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岩松了の演出方法に大森南朋、麻生久美子が思わず戦慄!?『市ヶ尾の坂―伝説の虹の三兄弟』インタビュー | SPICE – エンタメ特化型情報メディア スパイス
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