PART2:大分県宇佐市にある、特攻隊の史跡(に行ったワケ)
間隔が開いたけどPART1のつづきです。
といっても、今回は宇佐市平和資料館は出てこなくて、次回になります。
特攻隊の施設を観に行きたくなった理由・・・・
当ブログ(SixYears)、2019年12月でシックスイヤーが経ってしまうので、「これからどうすっかなー」と思ったわけです。やめちゃうとうんこが詰まったみたいに気分が悪くなりそうだしなーとか。そんで振り返って思うに、今までいろいろ書いた中でもっとも気になっているのは、2007年4月にUPした「憲法九条を世界遺産に and きけわだつみのこえ(書籍2冊)」だなと、思い至ったからです。この記事で『きけわだつみのこえ』の編集者渡辺一夫氏の文を引用しました。
かなり過激な日本精神主義的な、ある時は戦争謳歌にも近いような若干の短文までをも、全部採録するのが「公正」であると主張したのであったが、出版部の方々は、必ずしも僕の意見には賛同の意を表されなかった。現下の社会情勢その他に、少しでも悪い影響を与えるようなことがあってはならぬというのが、その理由であった。(中略)
更に、若い戦没学徒の何人かに、一時でも過激な日本主義的なことや戦争謳歌に近いことを書き綴らせるにいたった酷薄な条件とは、あの極めて愚劣な戦争と、あの極めて残忍闇黒な国家組織と軍隊組織とその主要構成員とであったことを思い、これらの痛ましい若干の記録は、追いつめられ、狂乱せしめられた若い魂の叫び声に外ならぬと考えた。そして、その影響を顧慮することも当然であるが、これらの極度に痛ましい記録を公表することは、我々としても耐えられないとも思い、出版部側の意見に賛成したのである。その上、今記したような痛ましい記録を、更に痛ましくしたような言辞を戦前戦中に弄して、若い学徒を煽てあげていた人々が、現に平気で平和を享受していることを思う時、純真なるがままに、扇動の犠牲になり、しかも今は、白骨となっている学徒諸氏の切ない痛ましすぎる声は、しばらく伏せた方がよいとも思ったしだいだ。
『きけわだつみのこえ』は学徒出陣で召集され特攻にやらされた学生達が出撃の前につづっていた手記をまとめたものです。しかし、あるがまま集めたわけではなくて、一定の尺度のもと編纂されてしまったものです。つまり、改ざんされたわけです。
今、安倍晋三政権での文書改ざん問題がとりざたされて久しいですが、改ざんは左派(自由主義側? 賢い側?)の人間もやってしまうのです。
しかも渡辺氏、「今は、白骨となっている学徒諸氏の切ない痛ましすぎる声は、しばらく伏せた方がよいとも思った」と「しばらく」というのだけど、しばらくとはいつまで?
『きけわだつみのこえ』には第二集があって1960年代に発行されています。こちらもDLして見てみたけれど「過激な日本精神主義的な、ある時は戦争謳歌にも近い 学徒諸氏の切ない痛ましすぎる声」が載っている感じはしませんでした。
ちょっと不自然すぎませんか?
日本兵全般に対してもそうなのですが、若い学生達の命をむざむざ犠牲にしたことについて、その後、日本はきちんと自分らのしたことを振り返ったのでしょうか? GHQに支配されたり東京裁判があったのはなんとなくわかりますが、それは外圧であって自分たちがみずから振り返っているわけではないのです。※
また例によって「靖国に祀るからいいじゃないか」論法なんだとしたら、それは振り返りにも反省にもなってないでしょう。
★ ☆ ☆ ★
戦後の経済成長は、特攻隊員たちの犠牲が痛ましすぎて、生きている自分の苦労などなんとも思わず猛烈に働いての経済成長、だった気がしてなりません。
過去から目をそらすことで真っ当な認知力を失った日本は、国自体がボケ老人化してないでしょうか?
☆ ★ ★ ☆
※
「戦後70年の価値観が揺らいでいる」歴史家の加藤陽子氏、太平洋戦争からTPPとトランプ現象を紐解く
真珠湾攻撃から75年、歴史家・加藤陽子氏は語る「太平洋戦争を回避する選択肢はたくさんあった」
朝日新聞による2015年春の世論調査では、日本がなぜ戦争をしたのか「自ら追及し解明する努力を十分にしてきたと思うか」という問いに、「いまだ不十分だ」と答えた人が65%もいました(2015年4月18日付朝刊)。憲法を変えるのであれば、戦争の結果できた憲法ですから、その戦争自体について再定義しなければならなくなると思います。
2016年のハフィントンポストの加藤陽子氏の記事です。