原発安全神話。神話だけ作って、ほんとうの安全はナイガシロ

「原発安全神話」はいかにしてつくられたか?
今月号の『世界』(という雑誌)には、「『原発安全神話』はいかにしてつくられたか?」と題し、経済評論家の内橋克人という方の文章が載っているそうだ。
『世界』はまだ見ていないが、上記ブログの引用からだけでも、原発安全神話を築き上げるために費やされたお金、熱情、人材、方法論(「PA戦略(パブリック・アプセプタンス)」)が、いかに完全にまんまと、文化人やインテリや大学教授たちを嵌めてしまい、ひいては国民も嵌めてしまったかが、戦慄とともに理解できる。
で、その洗脳工作を、「誰が」やったのか、ということであるが、引用を見る限り
財団法人・日本原子力文化振興財団、社団法人・社会経済国民会議、その他、おびただしい数の組織や団体であり、同財団の企画委員会(委員長・田中靖政学習院大学教授・当時)などである。
こんだけ力を結集し、一つの目的のために全勢力を傾ければ、ここまでの事が出来てしまうという見本だ。が、それはとてつもなく不幸な結果を生み出した。
17日に東電の出した工程表
16日までの現状とともに、昨日東電が記者会見で「工程表」を出した。
批判も多いが、評価する人は先行きが見渡せるようになったという意味で評価している。
・・・にしてもよく分らないのは、安全神話の洗脳工作をそこまで熱心にやるならやるで、その一方、本当に事故が起きない努力もすべきだろう。いったい何をやっていたのか? 東電の幹部たちは、この事故によって名誉を失い、この先私財も全部なげうって保障に回し(そうすべきだと思う)何もかも失う。被害をこうむった側の損害に較べればたいしたものじゃないので、同情の余地はないとはいえ、どうしてそんなにも愚かなのか。
そこが、不思議で不思議で仕方がない。