The October Country
今日は、東京ディズニーシーへ行ってきた。初めてのシーだ。
昨日は偶然、末次郎が高校の行事で「ランド」の方へ行ってきていて、「すごいよかった」と興奮していた。お土産のクッキー缶の模様もハロウィンだった。そうか今の時期はあの西洋のお祭り・万聖節にしてケルト人の収穫感謝祭ハロウィン一色になっているのだ。悪霊の真似をしたり怖れたりするあの祭りだ。最初、美術クラブの人たちとシーに行こうという話しになった時は乗り気でなかったが、ハロウィンの空気を味わえるなら悪くない。
7:00に駅集合し、電車を何回か乗り継いで9時には着いていた。美術クラブの先生だけは遠くから来るので、わたしたちは巨大な地球儀が水を流しながら回っている、一種の噴水公園で先生を待った。巨大な地球儀の前にはディズニーアニメの有名キャラクターが、シー仕様の衣装で飾ってある。天気は良くないながら、絶好の写メスポットなので暇つぶしに撮影会。好きなのはチップとデールだ。他には皆が「アリエル」と親しげに呼ぶキャラがいて、アリエルは人魚だった。アンデルセンの暗い人魚姫のイメージと随分違うなぁと思った。
そんな感じでしばらくブラブラしていると、先生が「ごめんごめん遅くなっちゃった」と言いながらやって来た。挨拶を交わすのもまだろっこしく本格的に入場すると、目の前にヨーロッパの街並みと港が広がった。石畳と外灯、海上に華やかな船、遠くに噴煙を上げる活火山… ただ期待していたハロウィンの雰囲気はほぼ皆無で、ジャックオーランタンの置物がそこここにあったり、ホーンテッドハウスがおどろおどろしく建っていたり、コウモリや魔女が飛んでいたり、ということはまるでなくがっかりした。あとでオフィシャルサイト見て知ったのは、ハロウィンをやっているのはランドの方で、経費がこっちまで回らなかったのか通常通りの営業といった感じだ。道理で組合の半額券に当たったわけだ。
がっかりしていると、その広場「メディテレーニーアンハーバー」では調子の高い音楽が大音量で鳴りだした。これでは隣の人の声も聞こえない。そんな中先生は、わたしの耳におもむろに口を寄せて大声で話しかけて来た。「偽りのしあわせね!」「こんなことをしている場合じゃないでしょうにね!」「今朝出てくるときダンナに『被曝しに行くのかよ』って言われちゃった!!」
確かにさっきの公園「ディズニーシー・アクアスフィア」でも、日本列島が回ってくると放射性物質がもれて海洋汚染している様子を想像しないでいられなかったし、海の巨大さは津波の脅威を思い出させた。だからその通りなので同意の念を表明したかったけれど、いきなりそれですかー? とちょっと可笑しくなった。美術クラブの他の面々は原発事故にあまり興味がないし、水を差すことを言える相手はわたしだけなので、思わず言ってしまったのだろう。
人出はものすごくて、この曇天の下、大勢と行き交う。誰もさして楽しそうな顔はしていないのだけど、実は楽しいのかも知れなかった。わたしが漠然と一番乗りたいと思っていたのはメリーゴーランドだ。昔読んだレイ・ブラッドベリの短編集”The October Country”『10月はたそがれの国』には、ハロウィンの季節に町にメリーゴーランドがやって来る話しがある。そんなものがやってくるのが不思議でならなかった。のちに調べると、組み立て式の移動式遊園地は外国ではよくあるようだ。しばらく歩くとメリーゴーランドが見えてきた。シーのメリーゴーランドは豪華で、しかも二階建て。さらに馬ばかりでなく馬以外の物も回っている。
順番を待つ間、どれに乗ろうかと考えた。シーのメリーゴーラウンドは馬以外に、ヒトコブラクダ、ゾウ、グリフォン、魔法の絨毯(の形状をしたベンチ)、それに映画『アラジン』に登場するランプの魔人ジーニーがいる。魔人ジーニーは願い事を叶えてくれるランプの住人。ただしジーニーは三つの願いだけは叶えないという。「殺生」「恋愛成就」「死者蘇生」だけは。
順番が回ってくると、100人くらいがいっきに走り出し、目当ての乗り物に我先にと飛び乗った。どういうわけか魔人が一番人気があった。わたしも熟考を重ねたあげく魔人を狙っていたので先を越され、メリーゴーランドの中をウロウロする羽目になった。そんなに魔人に乗りたいものかなぁと、自分の事は棚に上げて不思議になった。仕方がないのでわたしは、ごくスタンダードな馬に跨がった。
メリーゴーランドに乗っても、特に楽しくはなかった。懐かしくもないし、切なくもないし、嬉しくもなかった。ただ、目の前のカップルが上がったり下がったりしているのが面白くて写真に撮った。美術クラブの原田さんも近くのグリフォンに乗っていたので写真に撮った。これが可愛い幼児なら写真としてサマになるところ、あえて初老の原田さんを撮影するのが面白かった。
シーには魔人ジーニーの他にも願い事にちなんだ場所がある。ゴンドラで通過する橋の下だ。
わたしたちは原田さんの誘導に従ってゴンドラにも乗った。一台に15人ほど乗れるそのゴンドラは、ヴェニス風の運河を二名のゴンドリエ(船頭)が同乗し、周囲の風景を眺めながら、時々ゴンドリエの話芸に笑う、というものだ。漕ぐ方ではなくトークをする方のゴンドリエが乗客にイタリア語の挨拶を教え、ついで、願い事の叶う橋があるから通る時教えると予告する。今から何を願うか考えておいて、という。
隣の先生は「何を願おうかなあ、欲が深すぎて決められない」と話している。そんな間もいっときも放射能のことは頭から離れないため、やはり皆の安全を願った方がいいのかと逡巡しているのが様子で分かる。「でもあたしエゴイストだから-」とまだぶつぶつ言っている。わたしはそのかたわら、ゴンドラからの眺めと、目の前に座った美術クラブの二名を写真に撮った。運河の端からこちらを見ている人がいるので陽気なイタリア人風に「チャオ-」と手を振ってみるのも一興だ。
そうこうしている間にゴンドリエが、さあ橋の下を通りますよ、目をつぶって願ってくださいと言った。わたしは素直に従った。おそらく美術クラブの7名と、他に乗っていた8名ほどもそうだったと思う。ゴンドラの上から話し声が消えた。橋の影で暗くなった。ゴンドリエがイタリア語で朗々と歌を歌い出した。わたしはよく聞いていなかったが、橋の下で響くのを意識の片隅で感じた。
橋の下を通り終わると歌も終わり、「ハイ、通りました。歌も一生懸命歌いましたよ」など言っていた。
業務用の顔というよりどこか素の見える顔でそう言うのは、ここで拍手でもして欲しかったのだろうか。けれど拍手をすることを思いついた人はいなかった。橋の下を通った後は、誰もが妙にしんみりとしてしまって、皆を笑わせていたゴンドリエが「なんだか静かになっちゃいましたね」とこぼした。
ゴンドラに乗っていた時間はわずか10分ほどだ。気持ちはずいぶん遠くまで飛んだ。少し真剣に願いすぎた。神話もゴンドラも運河も、何もかも偽物なのに。
ちなみにここのゴンドラは、先生の友達が作ったそうだ。「あの頃は景気良かったのよね-」と懐かしげに教えてくれた。見るとドラゴンや紋章風のものが金色で彫刻されていて、ああこういう仕事かと思った。こういう仕事が途絶えずにあるにはどうしたらいいのだろう? 遊園地ばかり頻回に作っていられないだろうしなぁ…
ゴンドラから降りる頃には我に返ったように、みんながまた機嫌良く話し始めた。
ゴンドリエが教えてくれたイタリア語の挨拶「アルデベルチーー!」と手を振りながら、運河を離れた。