『検証福島原発事故・記者会見』についてのメモ
『検証福島原発事故・記者会見 東電・政府は何を隠したのか』
bk1から届いた本書を手に取り、何気なく裏返してそこにある文字列を見たとき、目の覚める思いがした。
1 メルトダウン
2 SPEEDI
3 「想定外」
4 プルトニウム
5 作業員の被曝
6 汚染水,海へ
7 工程表
8 フリージャーナリスト排除
9 低線量被曝
10 何を守ろうとしたのか
不信感が邪魔をして正確に見れなかった原発事故トピックが、きちんとファイリングされ視界が明るくなったのだ。
他の人、もしくはのちの世代の人々がこの件を検証する際には、このインデックスが有力な道しるべになると思う。
が、その前に「はじめに」がある。「はじめに」では3月11日に「原子力緊急事態宣言」が発令される、その前後の状況を時刻とともに記す。さらにこの本の主戦場である記者会見の始まりを記す。
それによると、
3月11日の夕方から経産省の別館にて保安院の記者会見は始まった。
保安院は11日の夕方から12日の午後までの間に16回、13日に5回、14日に4回、15日に2回、記者会見をおこなった。
12日の午前3時には海江田経産省大臣と、東電の小森明生常務の共同記者会見があった。
東電はその後14日の午後8時すぎに武藤副社長が記者会見を行った。
その間–11日、12日、13日、14日–に起きたことは密度が濃い。
濃すぎて息ができない。それでも簡便にいってしまえば、12日午後に水素爆発、14日午前には3号機が水素爆発…。
日隅氏はその過程で、東電の情報開示のやり方に強い疑問を持ち清水社長に要望書を出す。が、東電の会見場は名刺一枚で入れたため要望書の返事を待つよりも会見で直接聞こうと思い立つ。もうひとりの著者木野氏も、ツイッターでその旨を知り17日に東電へ足を運んだ。
これが著者おふたりの、東電通いの始まりとなったそうだ。