スーパー・カンヌ

スーパー・カンヌ

書き出し

 第一部 1 理想宮への訪問者

 ぼくがエデン=オランピアで最初に会った人間は精神科医だったが、カンヌを見下ろすこの「知の」都市への案内役が精神異常の専門家だったのは、いろんな意味でうってつけだったように思われる。今にして思えば、ある種の待機中の狂気が、布告抜きの戦争のようにビジネスパークのオフィスビル群に漂っていた。ぼくらの大部分にとって、ドクター・ワイルダー・ペンローズはわれらが愛嬌たっぷりのプロスペロー、ぼくらのもっとも暗い夢を日光のもとに向けてくれる導師だった。挨拶を交わしたときのペンローズがきわめてにこやかだったこと、それと同時に、決して人をまともに見ない眼がぼくに彼の差し伸べる手を握らないよう警告していたこと、それらをぼくは思い出すことができる。この不完全で危険な男に感嘆を覚えるすべを知ってからだった、ぼくが彼を殺すことを考えられるようになったのは。

 まさに今にして思えば、この魅惑的で幻惑的な書き出しの数行こそが、長々と冗長な文学作品風の第一部、一転通俗読み物風な謎解きに終始する第二部、資本主義の頂点社会とはいえローカルな一地区に過ぎなかったエデン=オランピアがエデン=オランピア・ウェスト(「国際ビジネス社会では『エデンll』で通る」)を派生させたことで現実の社会情勢とリンクした風にも見える第三部、を読みきらせてしまった理由のすべてかもしれない。

「精神異常の専門家」「待機中の狂気」「ビジネスパーク」、さらに思わせぶりなネタばらし(殺人予告)。
なぜこうも人(というか自分)は殺人予告に弱いのだろう?

とはいえ、やたらに分厚い本なのに(しかも活字二段組! 文学全集かっつうの)最後まで読めたのは自分でも意外ではあったけれど、どっちかというと不成功作品だと思える。どうせならエデン=オランピアの組織的悪の証拠となるビデオテープをめぐって複数の人間があい争う構造の方がよかったのでは。まるでハリウッド映画ではあるが。

第一部だけが突出して長く、エデン=オランピアの成り立ちと特徴と、主人公である「ぼく」=シンクレアの眼に見えるエデン=オランピアの風景が描写されていく。

エデン=オランピアは完全に管理されたビジネスパークで、一日16時間、週6から7日間働きづめに働く、働くことがリクリエーションかつ自己実現の、余暇などケほども求めない、人間関係もいたって希薄なビジネスエリートの街だ。
なので、描写は結果無機質となり、文章全体が殺菌されたように清潔になる。面白みが減る。
それでいて時々暴力事件が突発的に起きる。この暴力こそがこの作品のキーなのだが、どうも訳が下手なのか(いやきっとわたしの読解力とセンスだろう)何だかわからないが、暴力って感じがしなくて本当に困った。血なまぐささ、残虐さ、痛みへの共感、変形したり陥没する身体、武器の扱い方、そういうのは、文章を通じてこちらの頭に再現フィルムのように動きはじめるはずであるが、うまくいかない。しかもここで起きる暴力は複雑で、「日曜大工仕様の精神異常」であり「処方薬」であり、入り組んだ形で仕組まれたものなのだ。それに人種差別的という意味で許しがたい要素をもつ。といっても、何が許しがたいとか、そういう判断も含め読者にダイレクトに届くというよりも、目撃者であるシンクレアの目線や理解を通じて受け取るタイプの出来事であろうと、思われる。

しかし、いまさらナンダかんだ言っても仕方がない。それに、長い時間をかけてこの本に取り組んだ読者なら、終章にいたって、21世紀の世界は、仕組まれた暴力によってバランスをとらざる得ない醜悪さの中にいるのではないかという疑惑に、背筋が寒くなることだろう。作者は、現存する全世界の悪をかき集め、よつに組んで人類の大問題と格闘した、かのようだ。翻訳が難しかったとしても無理のないはなしだ。

もちろん、そんなビジネスパークであるから、暴力ばかりではなくセックス関係もあれこれとあるのだが、ヨーロッパ人の性観念を知らないこっちにとっては、何を異常視したり蔑視したり嫌悪しているのか、ベースラインがわからないので、どう捉えたものか判断のつかない行為も多い。しかしどんな文化であろうと許せないラインというのは残っているし、作品にも残っていた。

登場人物は主だったのだけでも6人(エデン=オランピアで謎の大量殺戮事件を起こしそのとき射殺された小児科医グリーンウッド、負傷したパイロットである主人公シンクレア、その妻でエデン=オランピアにどんどん取り込まれてしまう内科医ジェイン、生前のグリーンウッドの恋人で今はシンクレアを利用しつつ愛するブロンド女性フランシス、人種的に被差別立場であるものの有能かつ胸にいちもつ持つ警備担当ハルダー、いろいろ書くとネタバレになってしまうので書けない精神科医ペンローズ)で、さらに大勢こまごまと出てくる。それらがあれやこれやと言うせりふがまたトラップに満ちていて、どれが嘘だか本当だか判然としないのが、読みにくさの一因だ。しかし、だんだんと明らかに歪んでいくペンローズのせりふは鬼気迫る。おとなしく読んでいると、うっかり同意してしまいそうで怖かった。