わたしたちが孤児だったころ / カズオ・イシグロ

☆『わたしたちが孤児だったころ』で、各章のタイトルも兼ねて選ばれた時間と場所は次の7つ。

1930年7月24日 ロンドン

1931年5月15日 ロンドン

1937年4月12日 ロンドン

1937年9月20日 上海、キャセイ・ホテル

1937年9月29日 上海、キャセイ・ホテル

1937年10月20日 上海、キャセイ・ホテル

1958年11月14日 上海、キャセイ・ホテル

上の日時と場所を見て、置かれている状況と世界情勢をイメージできる人は、かなり歴史に強い人だと思う。
もしもそうではなくこの本をこれから読もうと思う人がいたら、以下のページにサササとでも目を通しておくと、何の予備知識もなく読むよりも、作者の仕掛けた罠と、作品が表現しようとした地平を深く受け止めることができると思うので、推薦する。

日中戦争~なぜ戦争は拡大したのか~
今年8月に放映されたらしいNHKドキュメンタリーのざっとした紹介

【満州帝国と阿片】日の丸はアヘンのトレードマーク
イギリス、オランダ、そして日本が阿片で儲けていたと。その中には今も有名な財閥、そして次に総理になりそうな人の祖父もいたと

「アヘン戦争」の舞台裏
キャセイ・ホテルは、このページ半ばにある「サッスーン・ハウス(現・和平飯店)」の5階から9階の部分。その下は銀行や事務所、上はサッスーン氏の住居だったという。
図が多いので分かりやすい。『わたしたちが孤児だったころ』にとってとても参考になるページ。ただし、作中「ユダヤ」という言葉は一言も出てこないので、あまり「ユダヤ」に引っ張られない方がいいかも

上海 ~「偽りの正面」

日本びいきな視点からも
盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)

困った時のウィキペディア。このほか「蒋介石」や「日中戦争」「阿片戦争」「阿片」「中国共産党」「中国史」と芋づる式に見ていくととても参考になるものの、それは読後でいいと思う

マギー・フィルムとは?
『わたしたちが孤児だったころ』からはややわき道にそれるものの、これもまた「1937年」なので

↑全部見ると大変だから、上から二つ三つでいいかな

なぜ見た方がいいのかというと、これだけのことがあった時代なのに、作中にはそのことはまったく書かれていないから。普通の作家だったら、懇切丁寧に上海の阿片窟の実態や、私腹を肥やしまくるイギリス商人や日本人を活写しただろうに、そういう描写はほとんどない。

わたしはたまたまこういう歴史を少しだけ知っていたので、この時代の上海を舞台にしながらこんなノホホンとしていていいのか? と読みながら心配になって(というか物足りなくなって)上の空になってしまい、途中ビールを飲んだり、CDを聞きながらの読書になってしまったではないか。

文学というからには、この時代を舞台に選んだ以上、この時代の世界が流した血に呼応するだけのものは必ず描いていなくてはならず、それができないなら最初から他の時代を選ぶべきなわけで、カズオ・イシグロ大丈夫なのかよ? と内心トグロまきつつビールをまた一本、また一本と開け

けど、飲酒運転と違って飲酒読書は誰も死なないから大丈夫。

(でも飲まない方がいいと思う)

リンク先の上記NHKドキュメンタリを見た人の感想は色々あって、番組が「自虐史観」だと思えたのか「あの証言は裏をとったのか?」とか「マギーフィルムの真偽」とか、番組担当者に電話で詰め寄った経過を書いているブログもあったりして。裏もなにもその証言が裏だろうと思うが。

心配しなくても、この時代の悪党オリンピックを開催したとして、日本が金メダリストになれるかどうか? 確かにメダル候補の一角には食い込んでいそうながら、世界は広いのだ。それに中国も。イギリスも日本も阿片を売りさばいて中国人を食い物にしたけど、蒋介石は中国人なのに自国民に同じことをしている。自国民に。さらにこの後続く中国共産党の恐怖政治ときたらいったいどう考えればいいのか

(だからといってそれは、日本がやったことを帳消しにする理由にはならないはずで)

といっても、『わたしたちが孤児だったころ』は、誰が一番のワルモノとかそんなことを書いている小説ではない。
そういうことが書いてある小説なのではなく、歯止めの利かなくなった巨大な流れの中で世界が破滅していくのを何とか食い止めようとした人間と、なぜ食い止めようとするのか、その理由を書いたもの…

読みやすさ、読みにくさという点では割りと読みにくかった。
というのも、三歩進んで二歩下がるみたいに、数年経過したかと思うとその中で以前のことを回想したり、さらにその中で過去を振り返ったり、かと思うとそこでまた数時間後のことを「このあと驚くことになるが」と予告するなど、時間が行ったり来たりしてめまぐるしいのだ。あんまりそういうのだから、「ホントに驚くこと起きるんでしょうね?」と注意しつつ読んだりして、おちおちビール飲んでいるどころではないくらい、油断がならない。

しかしこの手法(?)には独特の効果があって、1937年は、どちらにしろ過去であるところを、過去という名の安全地帯にしてしまわない効果だ。
時間が行きつ戻りつするので、常に現在進行形であるような錯覚効果が生まれる(た)。

読むのに骨が折れた中、それでも着々と読み進められたのは、アキラという親友の存在と、「探偵」という興味深い職業と、そして主人公がもつ根本的な「明るさ」のせいかと思う。

さほどたくさん読んだわけではないとはいえ、過去数十年に読んだ小説の中でトップクラスに入る傑作。けど読後感は重い。なぜならそれはひょっとして、わたしたちもまた孤児だからかもしれない。
といってしまってはマトメすぎか。

☆ ☆ ☆

このときの上海のように裏通りに貧民窟や阿片窟があるような場所ではなく、日本人やイギリス人や中国人の子供が(この時のアキラやクリストファーのように)、未来のノスタルジーを共有できるくらい遊べる場所って、世界のどこかに今あるんだろうか?

あるのかないのか

 

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