花より男子2(テレビドラマ)1-3回
遅まきながら漫画の『花より男子』(はなよりだんご)を通読し感想をアップしたのは、去年のことだった。
その時、アニメ化のみならず実はドラマ化も2005年にされていたと教わり、道明寺=マツジュンのキャスティングに激しく違和感を感じたことを覚えている。「なら誰がいいと思う?」と聞かれて、唐突に「日本沈没」のラストシーンが頭に浮かび、「草刈正雄…かな」とつぶやいていた自分は、とことん70年代から80年代半ばおんなである。
しかし、今シュンな役者が草刈正雄だったとしても、草刈と道明寺の共通点は「背が高い」という一点しかない。もちろん、それも重要である。道明寺は桁外れに背が高い、そしてバカであり暴力人間であり、取り憑かれたようにつくしを愛し、つくしと仲良くしている期間だけ人間的になる男である。さらにいえば童貞(?)である、というのも重要な要素であろう。
その点、草刈正雄は印象論ではあるが、童貞感からほど遠い。
そしてマツジュンの場合、あくまで印象論ではあるがもっともっと遠く、こりゃあそうとうやりまくってる顔だろ?!なのだ。
なーんてことを言っていて雅子様発言より顰蹙を買いそうで恐ろしかったりするが、マツジュンの場合、その印象が濃厚にして密度の濃い、吸引力のある「魅力」となっていて、見ていて不快ということはなく、そういえば、これほどストレートなラヴラヴドラマって、滅多になかったと気づいた。
それはともかくちょっと演出に文句をつけると、大事なシーンが必要以上に長い。第一回目、つくしが道明寺を諦めるために嘘をつく、しかし、親切にしてくれた道明寺の姉には、本当の気持ちを知っていてもらいたいと、姉の乗ったタクシーを追いかける。つくしは、自分の思いを完全なる闇に葬り去ることができず、誰かの胸でこの思いが生きつづけてほしいと、あるいは誰かが自分の思いの証人になることを願って、姉にだけは本当の気持ちを教えるのである。
泣きじゃくるつくし、「どうしたの、つくしちゃん…!」驚く姉。そこへ肩を震わし本当の気持ちを伝えようとさらに涙をポロポロさせるつくし。伝える相手は本来姉ではないが、「伝えたいエネルギー」が行き場をなくしている、というのもある。細かいセリフは忘れたものの、驚く姉を納得させるだけのことはどうにか、語り終えるのである。ここらへん、もー胸が熱くなって熱くなって感動の嵐。
しかしこのシーンがとても長く、すでに感動し終わっているのにまだダラダラ続くものだから、「井上真央(つくし)の集中力よく続くなぁ」とか、「無理に泣きつづけるとどんどん変な顔になるもんだなぁ」とか、妙な方に感心してしまった。こういうのは、適切なタイミングで切り上げてほしいと、つくづく思った。
やや似たことが第三回目にもあって、自分の選ぶべき相手がつくしではなく滋(しげる)であるという状況を渋々受け入れた道明寺が滋を呼び出して、「お前を好きになるよう努力する」「付き合ってくれ」と交際を申し込む。これが「気が狂うほど」うれしかった滋は、こちらも涙ポロポロでつくしに抱きつき報告する。あんな失礼な申し込み方をされたのに感激しているのだからよほど嬉しいのだろう。また、それ以前がよほど悲しかっただろう。しかしつくしにとっては死刑宣告同様であり、抱き合う二人は表と裏、幸と不幸のワンセットだ。わたしは悲しみへの耐性がない方なので、どっちかというと滋に感情移入していたが、つくしもかわいそうなのでなんか泣けそうになって、けどやっぱ本当にかわいそうなのは滋の方なのであるな、とかいろいろ考えたので、この場面はちょっとは長くてもいいわけだが、演技や演出としては単調だったので、少しだれた。
しかし一番望まれていることは、つくしと道明寺のからみであり、一話につき計5分くらいはからんでほしいものであるが、最初のうちはすごく少ないらしいと「テレビガイド」(ふたりが表紙)を立ち読みして調べたりして。
なにしろ、原作とは違うと割り切って観た方が楽しめるだろう。