この作者の本を読むの『わたしを離さないで』『わたしたちが孤児だったころ』に続いて三冊目。
まるで作者が主人公(話者)になり切って演じているかのような、役者の芸を見ているような作品で、しかも小説だから内面からのなりきり。そしてこの主人公は、いかにも演じがいのある英雄とか犯罪者とか志の高い人とか、海賊とか退廃貴族とかでなく、いっかいの執事。

いっかいの執事といっても、執事という職業はイギリスにしか存在しないと主人公のスティーブンスは自負する。なぜなら、他の国の人間は、感情を殺すことができないからだそう。さらにスティーブンスには執事のこだわりがあって、「品格とは何か」と生涯かけてしきりに自問する。執事の品格について考えるとき、その好見本になる人物をスティーブンスは知っていて、何を隠そう自分の父だ。父は、インドで主人に仕えていたころ、広間の大テーブルの下に虎が寝そべっているのを発見して、声ひとつあげず冷静沈着に行動、主人に報告してから銃で撃ち殺した。虎がいたからと、怖がるでなく、感激するでなく、好奇心をちょっとでも刺戟されるでもなく、ただただ、騒がず慌てずとどこおりなく虎を殺し、その時のパーティーを無事に遂行した。

そういう、執事の品格と、誇り。
関係ない(はずだ)けど、最近日本でも品格品格言っている人がいて、随分と読書の好きな方みたいで、テレビで「子供はケダモノ。ケダモノは本を読み人間になる。本を読まないといけない」と、しきりに読書を礼賛していたっけ。あの方ひょっとして『日の名残り』にインスパイアされて『国家の品格』を書いたのじゃなかろうか? だとしたら、とんでもなく誤読しているか、最後まで読んでいないかで、品格はそう簡単に推薦できないくらいその末路は微妙にかなしいのだ。

舞台は、『わたしたちが孤児だったころ』とだいたい同じ頃で1930年代の、イギリス。歴史をよく知っているなら、知らない人より複雑に楽しめるかもしれない仕掛けをいろいろ作っているみたいなのも、同書と似ている。わたしは歴史は詳しくないので、ヨーロッパの貴族はこうやって歴史を動かしたのだねぇ と感心するくらいしかできなかったものの。あとは、「よく政治を知らぬ者は意見をもたぬ方がいいのか?」というこんにちの自民党チックな発想も試されるなど、盛りだくさんだ。ああ、そして恋のことも。

恋たって、本人に恋だの愛だのという自覚はなくて、あくまで職務遂行と品格に固執するので、進展は何もなく、その代わり言い訳がましい理屈をいろいろと生み出す。そうやって内面で頑張っているところに、ミス・ケントンが外側から評価を下すというか、外側からの思いもかけない見え方を披露する。それは一人称のトリックにすっかりひっかかっていたなぁと苦笑する瞬間でもある。ミス・ケントンは明るく率直な人柄だから、スティーブンスのひとりよがりぶりが鮮やかに浮かび上がって、ここらへんはけっこう楽しいし、作者上手いなぁと思うのだ。

夕方の中で、スティーブンスがいたった境地。
それが読後感になってわたしの中に残っているかな。
でもそれを説明するのはとても難しい。もうすぐここにも夕方がくるので、そんな説明をしているどころではないし、ジョークの精神からも遠くなってしまうから。
国家の品格の人が好みそうな具合に、この書物から何かひとつどうしても教訓を取り出したいなら、取り出してみようか。
人は間違えたり、あるいは罪深かったりする。けれどそんなのよりもっと悪いのは何も選ばないということ、ただ信じることしかしないこと。
そしてそんな人生だったとしても、ラストチャンスはまだあるってこと。
でももしもこれらが教訓になっているとしても、グリコのおまけ程度に受け取ってほしい。