真鶴 / 川上弘美

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【講談社出版文化賞(第38回)】失踪した夫を思いつつ、恋人の青茲と付き合う京は、夫、礼の日記に、「真鶴」という文字を見つける。“ついてくるもの”にひかれて「真鶴」へ向かう京。夫は「真鶴」にいるのか? 『文學界』連載を単行本化。

真鶴
まなづる、という地名の響きにつられて失踪してしまったかのような夫の礼は、霊のようでもあってその姿を最後まであらわすことはない。そしてきっと作者もまなづる、という地名の響きに吊られてこんな小説を書いてしまった。さらに一読者であるわたしも読んでいる最中からまなづる、のことが気になって気になって仕方がなかった。「真鶴ってどこにあるんだろう」という、そんな素朴なレベルからして無知であったわたしは、さっそく検索しオフィシャルサイトを見た。そうしたらいきなり下手なフラッシュが畳み掛けるように真鶴の名物を紹介していて、技術的かつ広報としても非常に問題を感じさせた。けれど、ネット上でも真鶴はまなづる、なんだなと思うと少し嬉しかった。

それでも真鶴の場所と行き方だけはしっかりチェックしたので、読後にわたしの夫のテルテルに「今度真鶴に行かない?」と言ったら「まなづる、どこ?」と聞き返すため、「それもちゃんと調べた。小田原と熱海の中間」と教えると、「伊豆半島を挟むじゃん」と言うため、「挟まないよ。近いよ」と答えると、しばらく頭の中の地図を検証し「ああ。含まないね」と納得したので、テルテルの頭の中の地図は、それほどいびつではないらしかった。
わたしの夫は、たぶん礼ほどステキじゃないと思う。わたしも京と同じくらいに夫に執着したことはあったけれど、幸か不幸か礼ほどの魅力もなく、ゆえに首筋にほくろのある女性とも付き合っていなかったためか、一度も失踪したことはない。

それでも、ココロだけなら、割りとよく失踪したことがあるのだ。もてないくせに。むしろいつも失踪しているのかもしれない。最近は、わたしも割りと失踪するので、おアイコだと思ったり。

『真鶴』の中で一番怖いと思ったのは、失踪したはずの夫が、娘にとっては父親だけれど、こっそりと娘に会いに来た。わたしはうかつなので、その相手は娘の隠している恋人だろうくらいに思っていて、そんなの仕方ないじゃない。なんて思っていたのだけれど、失踪した夫だったと考えたら、怖くてたまらない。

なんで失踪したんだろう。とそればかり考えていた。失踪して最後まで帰って来ないのだから、なんで、という理由はいつまでも分らなくて、とても気味が悪かった。そりゃあ、なんとなく「だから失踪したんだね」と思わせる面をもっている「わたし」ではある。その夫への執着の仕方は、はたから見たら鬼女のようにも思える。でもそれは「病的」とまでは言えないし、もし仮に病的だったからといって失踪していいものではない。第一女とはこんなものだろうし、もしも時代がそれを忘れているのなら、そうだってことだ。夫も、「話し合う」とかして、距離を置いてもらうとか試みてもいいのだ。
なんてことを、極めて問題解決的に考えたが。

夫のほかは「ついてくる女」というのがいて、なかなかの味わいがあると思ったら、途中から割りとコミカルな存在になった。
でもわたしはこっちの女のがいい。双子を投げ捨てたのだけは残念だけれど、そしてあたかもその権利があるかのように悪びれないのも、いらだたしいのだけれど。

このあとしばらくしたら、わたしも「生活」の中へ入る。
すべてを紛らわしてくれる、あの生活の中へ。
まなづるのホームページを、また見ることはあるだろうか。

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