■#7はいったん録画したものの、なかなか見れなかった。
先に見た末次郎に聞くと、傑作の誉高げな#6よりも、彼にとっては面白かったようで、その大きな理由のひとつが「国生さゆり」の存在にあるらしく、確かに国生さゆりが出ているというだけで、なんか可笑しいのは可笑しい。
舞台はイノシシの里とよばれる“大間下(おおまか)村”という相当な山奥で、「ようこそ大間下村へ」とか看板が出ているから、「TRICK」かと思ったけど、「TRICK」よりはライトな山奥なので、さほど因業な感じはしないものの、山奥すぎて他にやることがないからママさんバレーをやったり、イノシシ狩りをやったり、ナニばかりやったり、フランスってことにしたり、山小屋をラブホみたいにしたりと、相当念がいっていた。それに、イケメンの関口ミッシェル(加勢大周)がコーチで出てきたときは、世代的にも「サインはV」の中山仁を彷彿としてしまったわけで、無条件で嬉しくなったのだった。しかも、ミッシェルは出てきていきなり開き直るから受けた。
そういえば、この回は続く#8の仕込みめいたところもあって、いよいよ食欲に走る三日月ちゃんといい、山小屋のベッドで誘惑しているのに朴念仁の霧山といい、監督と脚本が違っていても伏線を張っていたのだろうか。
全体としては、死者二名に対するデリカシーが他作よりも欠けているため大雑把な印象なのだけども、何でも大まかな大間下村が舞台なので、これでいいのだネ

■#8は、しょっぱなから夢の中と思しき光景で、桜舞う中で仲良く手をつなぐ霧山と三日月という、長く見てきた視聴者にとって望んでいた絵であったものの、いつのまにか三日月は、霧山ではなく誰だか分らないオジサンと手をつないでいて、不気味だった。さらに夢は、この先手がけそうな事件と関係がありそうな展開となるから、こ、これはひょっとしてツインピークス!? と、興奮した。
#8は夢以外のシーンでも、今までのフレームからはみ出していて、たとえば三日月ちゃんが過剰にうるさく、けたたましく、うざいほどだった。せっかく、#6ではあんなにかわいらしく撮れてたのに…と、制作者め何を考えているのだ? と疑問になった。反面、考えようによっては、三日月の霧山への想いは何ひとつ報われてはいず、押せば押すほど逃げていく霧山で、あーそんなに霧山のこと好きだったんだね、そんなに壊れてしまうなんてねぇと、納得はしていたのだ。

奇妙な誠実さは、霧山がなぜ三日月と付き合えないかということの説明が、やはり夢として出てくるあたりで(それが理由ならば、だけど)さすがにえっ! と驚いた。まさか蜂須賀さんが「好き」だったなんて…。蜂須賀さんだよ?十文字の腰ぎんちゃくだよ?驚くよ通常。かといって、熊本さん相手じゃ「メゾンドヒミコかバシッ」だし、乙メン君じゃ「少年愛の美学かバシッ」だし、鑑識課の諸沢さんじゃさっぱりワケ分らなさすぎるし、十文字疾風じゃ今までのシナリオ無視しすぎだし。

これには、何でも分った顔をするうちの末次郎ですら「この夢の意味、ぜんぜん分んない」と言うから吹いた。

しかし、だからといって霧山を同性愛者と決定するのも早計だろう。むしろ、女性観が混乱しているといった方が近い気がして、三日月のヒップを狙い撃ちするカメラアングルや、女性同士で膝枕したりオンブしたりする女の生態の(実際にはあまりないが比喩的にはあり得る)描き方は、デビッド・リンチ的に粘着質にHな感じでもあり、女を初めて見た子供のようでもある。そうそう、デビッド・リンチといえば、麻生久美子にはデビッド・リンチの映画に出てきそうな雰囲気があるし、それを言ったら、松田美由紀もそんな感じだし、それを言ったら加藤治子もそんなところがあるので、全体にデビッド・リンチチックの可能性を秘めつつ、特にやってはいなかったり。
しかし、とはいっても期待したのは、夢とウツツの境目がない感じ、人の潜在意識が事件を起こし動かしていく感じ、そして夢の中で人と人がつながっていく感じ、意識というものが生まれた源泉へ向けて逆流していく感じだと考えると、大きな成功作とはいえないが、野心作といえるだろうか?
それに、まだまだ女というものは、描かれきってはいないのだ、という感想を強くもった。

back to top